2020年11月29日 愛と赦しの教会

あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい…。   Ⅱコリント2:7 コリント人への手紙第二講解説教№4 Ⅱコリント2章1-11節 第二の手紙の2章に入り、新たにわかったことは、「ある人」(5節)が起こした大きな問題によって教会が揺らいでいたことです。恐らく第一の手紙5章にある「不品行」の問題でしょう。お金や性に関することで不祥事が明るみに出た場合、社会では制裁がはっきりしています。コリント教会で起きたこの問題、教会ではどのような態度を取るべきなのかを学びます。聖書は「その悪い人をあなたがた(教会)の中から除きなさい」(Ⅰコリント5:13)と教えます。コリント教会は反面教師で「そのような行いをしている者をあなたがたの中から取り除こうとして悲しむこともなかった」(Ⅰコリント5:1)と、その罪を黙認してしまったのです。「除く」とは除名です。教会員としての権利(聖餐式、議決権)の停止、パウロは「そのような者とはつきあってはいけない」(Ⅰコリント15:11)と交わりも禁止しています。このような厳しい処罰をなぜ行うのかと考えなければなりません。そうすることで、はじめて罪を犯した人に悔い改める機会を提供するということです。もし、そのことで悔い改めが見られるならば、どんな罪を犯した人であったとしても、その人を受け入れるべきなのです。その人を悔い改めに導き、赦すことが目的であって、罰することではありません。神が私たちに取られた措置がこれです。重要なことは、罪を犯した者が神の前に立つことが出来ないようにしてしまってはならないことです。これは処罰するほうの愛が試されるところです。聖書は、悔い改めた人を赦しなさいと勧めます(2:7)。それはその人の罪の行為を忘れることです。根に持ち、尾を引くようなことをしてはなりません。クリスチャンの「赦し」はサタンに打ち勝つ強力な武器です。一人でサタンに打ち勝つことは出来ません。つまり誰かを赦すことは出来ないということです。「キリストの御前で赦す」とき、赦しの奇蹟が起きます。御前で赦すとは、キリストが私を赦してくださったように赦すということです。罪は憎み、罪人を赦すのです。それ故キリストは私の罪を赦さない結果、その処罰のために十字架へ。その福音を信じる罪人を赦したのです。同じ十字架の犯罪人さえも。