2020年12月13日 キリストの手紙

私たちの推薦状はあなたがたです。それは私たちの心にしるされていて、すべての人に知られ、また読まれているのです。 Ⅱコリント3:2 コリント人への手紙第二講解説教№6 Ⅱコリント2章1-3節 当時のユダヤ人は、何かをするのに、権威ある筋からの推薦状をもらうことが常識でした。「ある人々」は、その推薦状をもってコリント教会に来た伝道者的立場の人たちです。彼らは推薦状のないパウロを批判します。しかしパウロは今それを必要としていません。パウロの使徒としての権威を高めるのも、御言葉の権威を高めるのも人間の推薦状ではないと知っていたからです。 パウロの推薦状は、彼の働きの結果としての「あなたがたです」と告げました。問題だらけで、人間的な考えに支配されやすいこの教会が、推薦状となるのか疑問です。パウロはそれを承知の上で言ったのです。彼らが悔い改めて、改めてみことばに従っていく姿を予想して言ったのではありません。パウロはイエスキリストにおいて受け入れたのです。実に彼らは変えられました。ギリシャ神話の上に成り立つ偶像の神々を拝んでいた彼らは、パウロを通して生けるまことの神を信じて変えられたのです。パウロのコリント教会の兄姉たちへの対応を見たとき、私たちの他の兄姉に対してどのような対応なのか、考える良い機会です。キリストはコリント教会に見られるような破れに満ちた教会を受け入れてくださり、主の十字架の下、そのご支配に下に置かれました。罪と汚れの教会、或いは私たちがもし救われるとしたら、それはキリストが受け入れておられるという、恵みの支配を抜きにしては考えられないことです。人は神の恵みによってのみ救われるのです。ですから、その救われた者がどんな愚かなことをしたというところではなく、神がその人に注がれた恵みに着目したとき、推薦状として、或いはキリストの手紙として成立するのです。 パウロの推薦状であるコリントの兄姉たちは、パウロの心にしるされていたと言います。しかも、それがすべての人に知られ、また読まれているというのです。これは彼らが回心して救われたことが、地域で良く知られていたということです。コリントの町の人たちは彼らの変化が起こったこと、以前のようではないことを見ていたのです。 心に記された推薦状は、インクで記した者と違い、永遠に残るものです。まさに生ける神の御霊によって書かれたからです。今信仰の成長途上で、自分のうちに欠けがあるとしても、私たちも確かな推薦状となることを、主にあって誇りを持って頂きたいのです。