2020年12月20日 2020クリスマス礼拝メッセージ「クリスマスを見出した人、失った人」

ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。  マタイ2:2 マタイ2章1-11節  ヘロデ王はクリスマスを失いました。暴君でしたが政治的に成功をおさめた人でした。この人はクリスマスを失ってはならない人です。なぜなら、聖書からキリストの誕生を知ったからです。その誕生の場所、意味すら知ったのに、会いにも行かなかったのです。彼の疑い深さがそうしたのか、習慣化された貪欲さのせいか、わかりませんが、今ヘロデは瀬戸際にいます。彼を襲った恐れと不安の危機に対して、「なぜ叶わないのか?思い通り行かないのか」と考える事も出来ます。或いは「何を意味するのか?」と本質的なことを考える事も出来ます。コロナ禍にある人たちも、長期の危機に対して、「叶う、叶わない できる、できない?」というDOINGを考えることも、自分が生かされている意味を真剣に考えることも出来るのです(BEING)。コロナは私たちの生活のDOINGの部分を奪いました。しかし、その中で、「家庭のあり方を見直した、仕事とは何かを考えさせられた」という人がいるなら幸いです。神の救いに近いかもしれないからです。イエスがユダヤの王として、救い主としてお生まれになったことは、政治的な成功というDOINGの世界ではありません。そうではなくて、「罪から救ってくださる」(1:21)方として、私たちの本質を扱われるのです。私たちは「できる」と思っていることも出来ない、無力な罪人です。だから一つの危機が襲う時は、「何も出来ない」ことを教えてくれるチャンスなのです。それは、「自分には罪から救うお方がどうしても必要!」と認識させられるチャンスなのです。クリスマスを見出した博士たちはDOINGでは成功者です。しかし彼らの立場は罪から救われなければならない罪深い存在です。東方から来た彼らは、呪われた者、さ迷う者の代表です。「東」が暗示するものは罪の呪いです(創世記3:24、4:16)。彼らが遠路はるばる救い主を礼拝しに来たのは、罪から救われたいという渇きからでしょう。しかも神は彼らを確かに導いておられるのです(2:9、12)