2020年12月6日 キリストを知る知識のかおり

しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。  Ⅱコリント2:14 コリント人への手紙第二講解説教№5 Ⅱコリント2章12-17節 コリント教会を悔い改めに導くための、パウロの訪問と悲しみの手紙は、相当厳しい内容でしたそのことが気になり、パウロの「心に安らぎが」ありませんでした。トロアスで働きの門を主が開いてくださっているにもかかわらず、心はそこになく、コリント教会のことで一杯でした。実に人間的な思いを引きずっていました。ところが、14節で「しかし、神に感謝します」とパウロの心は一転し、主の導きを確信します。神の導きを、織物の裏面を見ているようだと言った人がいます。人の目には縫い目がごちゃごちゃに見えますが、その表には神の織りなす素晴らしい模様が描かれているということです。そうであると、自分にとって良いこと、心地よいことが主の導きとは言えないわけです。「すべての事について、感謝しなさい」(Ⅰテサロニケ5:18)とありますが、パウロのように人から誤解され、相手を断罪しなければならない状況そのものを感謝することは難しいことです。そこに感謝をするのではなく、私たちの考えが及ばないところで、神の最善である美しい表面が用意されつつあるところに、感謝をささげるようになるのです。パウロは神の見事な導きを、勝利の凱旋に例えました。イエスキリストを通して神に立ち返るイメージを「私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え」と表現したのです。その勝利の行列は、コリントの兄姉たちの自立した信仰のために、あえてコリントに行かなかった誤解を受けた信仰の道を通り、厳しい訪問、厳しい手紙を突き付けた愛の道をも通っています。キリストが征服者として行進されたところを、パウロもその行列に加えてくださったのです。その行進によって、キリストを知る知識のかおりが至る所に広まるのです。それは、ある人には死に至らせるかおりで、ある人にはいのちに至らせるかおりとなります。神はそのとちらにしても栄光をお受けになります。神にとってはかぐわしい恵みのかおりであり、別の場合には、さばきのかおりだからです。