2021年2月21日 宣教集会 福音宣教の緊急性

ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。  使徒16:9 使徒の働き16章6-10節    宣教において、助けを必要とする人と助けを提供する人の両者において緊急さを帯びています。第二次伝道旅行の際に、パウロとバルナバは意見を激しく衝突させました。結果として別行動に。派遣したアンテオケ教会において初めての大きなトラブルです。しかし、神の目から見るなら、これはトラブルではありません。神がお与えになった賜物の違いが明らかにされた瞬間です。未熟なマルコを伝道に同行させるかどうかという問題に対して、パウロとしては宣教の使命を遂行することを最優先させたいため、同行を拒否しました。一方バルナバは、未熟だからこそ忍耐強く育てなければならないと、同行を受け入れました。真理を明らかにし、神のことばをいかに語り貫くかということに最大の関心があるパウロと、慰めたい、励ましたい、育てたいと「人」に最大の関心があるバルナバとの違いは、与えられた賜物の違いです(ローマ12:6-8)。知らなければぶつかります。後にこれを教訓としてローマ12章、Ⅰコリント12章で賜物について記しています。宣教の主導者は神です。教会をより強化するために、兄姉たちに賜物を与えておられるのです。それを知らずに激論を交わしながら宣教する人は、説得力に欠けます。しかし神には御国を完成させるというご計画があります。決して動くことのないみこころです。私たちの成功、失敗にかかわらず、神はご計画を遂行されます。そのことのために宣教と言う方法を取られたのです。私たちは、神のご計画に基づく宣教の働きに招かれているに過ぎません。 パウロとしては第一次伝道旅行で救われた人たちの様子を見に行くという計画がありました。しかし御霊によって行く手を阻まれます。時と場所が今ではなかったのです。南も北も進むことが許されず、彼は不本意にも残された西に進むしかありませんでした。トロアスという町に着いたとき、彼はそこで初めて神のご計画を知ることとなります。ある特別な夜、パウロはマケドニヤ人が助けを求める幻を見ます。それまでは、「自分がこうしたい(計画)」という声が大きすぎて、神の小さな声が全く聞こえませんでした。ところが自分の計画が完全に阻まれたことで、静けさを取り戻した「夜」に、神の御声を聞くことが出来たのです。自分が進もうとする道が阻まれる時、隠された神の深いみこころがあることを知らなければなりません。そのみこころを知るのが遅くなってはなりません。生きる本当の意味を見失い、助けを求めて叫んでいる人たちが大勢いるからです。みこころを確信したら、ただちに福音を宣べ伝えるという、行動に移しましょう。