2021年3月21年 神の恵みをむだに受けないように

私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください  Ⅱコリント6:1 コリント人への手紙第二講解説教№15 Ⅱコリント6章1-10節  私たちの代わりに、罪を知らないイエスが、罪そのものとされました。神に対して違反行為を重ね続け、今なお反抗し続ける人は、即座に罰せられてしかるべきですが、「お願いだから、わたしの和解を受け入れてほしい」と神は懇願されるのです。神の和解を受け入れた人は赦されただけではなく、「神の義」としてくださいました。私たちがキリストの正しさを頂いたということです。それ故に御国に入る約束を得、神の子どもとして迎えられ、神の相続を受け継ぐことまで約束されているのです。恩赦以上のものを頂いた死刑囚の虫の良過ぎる出来事は、キリストの十字架と復活によって成り立っているのです。この神の恵みをむだにうけないようにとパウロから投げかけられています。パウロの恵みに応えた生き方に対して、そう応じないコリントの兄姉たちは、サタンに欺かれ、偽使徒たちにより、パウロとの関係を壊されました。その彼らに神の和解を素直に聞き入れなければならないと、パウロは訴えています。そこに引用されたイザヤ書のことばで最も伝えたいことは、「今」ということです。偽りによって信頼を崩された今、メッセージに応答しなければならないと迫っています。神の和解のメッセージは素晴らし過ぎるので、今すぐ応答するべき即時的な性質を持つのです。私たちも、語られたみことばに対して、「おりを見てから、未熟な信仰が成長したら」などと先延ばしにしてはなりません。 パウロはメッセージの素晴らしさゆえに、伝える務めがそしられないための心得を持っていました。福音の働きゆえに起る数々の困難は肉体的にも精神的にも非常な忍耐を要するものでした。その困難に対してどういう態度を取るのか、それによっては自分の務めがそしられるか否かを問われるのです。例えば、労役(肉体労働)が課せられたとき、パウロは「やっていられない」とののしるのではなく、純潔を保ちました。毎日疲労困憊しても、怒り散らすのではなく寛容さを保ちました。パウロの凄さではありません。彼は自分の限界の中で、神の持つ様々な賜物、力により、自分の務めがそしられない態度を示すことが出来たのです。