2021年3月28日 心を広くしてください

私は自分の子どもに対するように言います。それに報いて、あなたがたのほうでも心を広くしてください。 Ⅱコリント6:13 コリント人への手紙第二講解説教№16 Ⅱコリント6章11-18節  心を開いて、コリントの兄姉たちに語るパウロがいます。育ての親に向かって「気が狂っている」と非難する兄姉に対して心を開くことは簡単なことではありません。神の助けを頂いて(6,7節)初めて出来ることです。第一の手紙でパウロは、兄姉たちを厳しく戒めました。それに対して彼らは「パウロに支配された、操作された」と思ったのでしょう。それをパウロは「自分の心で自分を窮屈にしている」と指摘しました。確かに、傷つけられたくないから心を閉じることは自分の操作です。それは神の支配と自由の中に生きる信仰者にとっては不信仰な行為です。そのような兄姉に対してパウロは、「心を広くしてください」とお願いしているのです。そう願う直接の理由があります。それは徹底した神との関係改善です。すなわち「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません」との教えです。コリントの兄姉たちに対して語る「不信者」とは、偽使徒たちのことです。「彼らが偽使徒です」とパウロが直接言わないのは、兄姉たち自身にそのことを考えて欲しいからです。「くびき」とは二頭の家畜の首に固定して、より力強く仕事をさせる横木のことです。申命記22章9—11節を見ると、牛とろばを例につり合わないくびきを教えています。力の差があって返って力が削がれます。性質の違うものを区別しなければならないという教えで、手紙には「光とやみ、キリストとベリアル(サタン)」というふうに聖と俗を区別(聖別)しなければならないと述べています。聖さは純粋であることを求めます。純粋とは混じりけのないことを意味します。「神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず…」(2:17)、「神にも仕え、また富にも仕えるということはできません」(マタイ6:24)等の教えにもあるように、聖と俗のはっきりとした区別を意識して生きることをパウロは教えています。聖か俗かの区別は簡単ではありません。偽使徒たちも神のことばを教えていましたから。判断するためには、調べ(尋ね)、探り、よく問いただす作業が必要です(申命記13:13,14)。この霊的作業を行うのに、心が窮屈な状態のままでは出来ません。このためにこそ、心を広くしなければならないのです。