2021年6月6日 すべての良いわざに あふれる者とするため

神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。       Ⅱコリント9:8 コリント人への手紙第二講解説教№25 Ⅱコリント9章6-8節  豊かに蒔けば豊かに刈り取るという農作業を例を、霊的法則に置き換え、与えるならば与えられるということを、献金についての考えをさらに展開しています。「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます…」(ルカ6:38)とイエスもこの法則を教えておられます。法則ですから、それに基づくなら豊かに与えられ、そうでなければ乏しくなります。それは旧約聖書のイスラエルの民にも見られます。捕囚の帰還後、民は廃墟となった主の臨在の場所である神殿を放置し、自分の家のために走り回りました。結局彼らは自分たちだけが板張りの家に住み、神は変わらぬ法則に基づいて彼らを乏しくされました(ホセア1章)。 神の祝福は永遠に循環します。ですから、与えると豊かに与えられるのです。その上で聖書が要求していることが、「いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい」です。法則に従ってささげるならば、必ず自発的になるという真理です。神にささげられたものが、エルサレム支援や、我々の国内開拓支援に用いられます。神にささげると言っても、神が何か事欠いた方であるかのように、私たちがささげなければならない義務は何一つありません。神はおひとりで存在することのできるお方であり、私たちのささげものを必要としているのではありません。ただ神は私たちの愛を、そのささげもので確認しようとされています。ですから、神は「喜んで与える人を愛してくださる」とあるのです。 与えるならば豊かに与えられるという法則の根拠は、8節の神認識です。私たちもパウロと同じ神を信じているのですが、神を信じる者が、実は常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる、そういう神であるという認識を持つことが出来たら幸いです。恐らくパウロはコリントとのかかわりの中で、経験としてその神を知ったのでしょう。そうであれば、与えることの実践の中で、あふれるばかりの恵みを味わうことができます。