2021年7月11日 真実と貞潔を失わず

しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。                    Ⅱコリント11:3 コリント人への手紙第二講解説教№29 Ⅱコリント11章1-6節  パウロは、コリントの兄姉たちがキリストに対する真実と貞潔を失うことがあっては、と心配しています。「思いが汚され」ることにより失うという、ここでも思考との戦いであることが述べられています。私たちの肉の思いの中にあるものと、神の思いの中にあるものとを明確に区別しなければなりません。そのためには、みことばを深く知る必要があります。キリストに対する真実と貞潔を失うことは、極めて深刻な問題です。なぜなら、キリストと私たち教会は婚姻関係にあるからです。コリントの人々を救いに導き、教会を設立したパウロは、コリント教会を娘とする父親的な立場です。父は娘である教会の純潔を守ることを自分の義務だと思っています。そうすることで、父は喜んで夫となるべきいいなづけに差し出すことが出来るからです。ユダヤでは婚姻関係にありながら、それぞれが親元で一年間生活します。その期間が終わると、ふたりは晴れて結婚生活が始まります。その日花婿が花嫁を迎えに行き、盛大な祝宴が幾日も行われます。イエスである花婿が、花嫁である教会を迎えに来ます。それは再臨の時です。その時まで、キリストに対する真実と貞潔を保つのです(エペソ5:25-27)。それは他に心を動かされず、ひたすら一つのことに心を集中することであり、初めの愛を保ち続けることです(黙示録2:4)。それを失わせようと、偽りの父であるサタンが働くのです。その偽りは真理を含んでいるので見破ることが困難です。コリント教会はそのために「別のイエス、異なった霊、別の福音」という真理というオブラートに包んだ偽りに対して、寛大さを示してしまったのです。サタンは正統的な教会の中に容易に偽りを持ち込むことが出来、信仰者をイエスから離すことが出来てしまうのです。私たちは真理と偽りが混ざっていることを見分けなければなりません。そのために、みことばを深く知ることです。深く知るその目安は、みことばを尋ねることを止めていないということが挙げられます。「もうわかった」と高ぶるのではなく、常に神に対してみこころを尋ね求めている状態が必要です。もう一つの目安は、みことばの実行が伴っていることです。イエスはその人を、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据える人にたとえました(ルカ6:46-)。これらの人はみことばを深く知る人です。