2021年7月25日 献堂10周年記念集会 みずから進んでささげる教会

主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上にかしらとしてあがむべき方です。                  Ⅰ歴代誌29:11 歴代誌第一29章1-14節  「この仕事は大きい」(1)とは、ダビデが構想を練り、ソロモンが建てるところの「神の宮」(エルサレム神殿)建設のことです。規模の大きさ、資材収集(輸入)、総工費など、確かに大きいのかもしれません。しかしダビデは「神である主のためだから」大きいと。建てるべき神の宮は、天における御父と御子とが、天地において主の家(天の御国)を建てる神の壮大なヴィジョンの写しなのです。本体は天の御国であって、その完成です。その神のご計画の中には、天地創造があり、十字架と復活における救いのご計画があり、キリストの再臨があり、千年王国があり、最終的に新しい天新しい地としての御国があるのです。教会も、天の御国を建てる神の壮大なヴィジョンの写しです。神はそれを完成させようと、神プロジェクトをお持ちなのです。私たちがそこに参加した上で、会堂建築、教会建設を捉えることが大事になって来ます。その意義、目的が重要だと言うことです。人それぞれに意義と目的があるのではなく、神殿或いは教会に対する神の明確な意義と目的があるのです。ダビデは神殿を建設するにあたり、二つの重要な事柄を述べています。第一は、「みずから進んでささげること」です。ダビデの生涯を貫いた願いは、「主の家に住むこと」(詩篇27:4)です。その聖なる情熱の中に神殿建設のヴィジョンが含まれています。それは神のヴィジョンです。それ故に、喜んでみずから進んでささげたのです。イエスも、「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました」(Ⅰペテロ2:24)神のご計画の写しであるダビデの神殿建設の思いの中には、キリストのこのお姿が隠されていると言えるでしょう。ダビデがささげ尽くすことに喜びを覚えるのは、神のヴィジョンを神と一緒に成し遂げて行く特別な喜びがあるからです。もう一つの大事なことは、「すべては主の御手から出たこと」です。これは神がいっさいを支配する統治の理念をダビデが抱いているということです。結局それは、すべては聖なる神の御名のため、ということです。神のご支配と統治は、終末に向けて現実味を帯びて来ます。ですから、私たちは御名のために、御国の完成に向かって、みずから進んでささげて行こうではありませんか。