2021年8月22日 説教テーマ 自分自身の信仰の吟味

こう言うのは、あなたがたはキリストが私によって語っておられるという証拠を求めていりからです。キリストはあなたがたに対して弱くはなく、あなたがたの間にあって強い方です。    Ⅱコリント13:3 コリント人への手紙第二講解説教№34 Ⅱコリント13章1-6節 パウロが三回目のコリント教会訪問の際に、もし罪を犯すことを止めていない人がいたら、容赦はしないと厳しく指摘します。なぜなら、教会を築き上げるためには、それを妨げるものを取り除かなければならないからです。それに対して兄姉たちは、パウロが本当に神の代弁者なのか、キリストがパウロによって語っているのか証拠を要求しました。パウロはそれに答えて、説明していきます。まずパウロは、兄姉たちにあってキリストが弱い方ではなく強い方だと言います。パウロがコリントでキリストの福音を宣べ伝え、それを兄姉たちが信じて受け入れたとき、彼らのうちに大変革が起こりました。異教の神々に囲まれ、自分本位にしか生きることのできなかった人が、他者のために生きる者へと変えられたのです。キリストの強さ、その力は『弱さの中からの力』です。キリストは私たちの罪を負って身代わりとなるために、人となられて、血の犠牲を払われました。そこにキリストの弱さがあります。しかし、神の力によって死者の中から肉体をもってよみがえられました。人としての弱さの確証づけるものは死です。イエスはよみがえられたことで死の支配の上に立たれたのです。キリストを信じ、従う私たちも実に弱いのです。しかしイエスは、この弱い私たちを通して、ご自分の力を現してくださるのです。パウロ自身、その弱さを通して、コリントの兄姉たちに神の力を現しているのです。それは彼らをさばく偉大な神の力としてです。パウロのうちにも弱さの中からの力があるということです。兄姉たちはパウロの弱さゆえに使徒ではない、彼は容赦はしないと言っているがキリストの代弁者などではないと否定をしましたが、とんでもな。パウロこそ使徒です。そして彼は与えられた救いのなんたるかを知っていました。ですから、兄姉たちに「信仰に立っているか…吟味しなさい」と言ったのです。キリストの驚くべき力について、自分自身のうちに顧みるようにと。彼らはキリストがパウロによって語っている証拠を求めています。その証拠は実に兄姉たち自身です。彼らは間違いなくパウロを通して救いに導かれました。パウロが神の力によって、厳しく断罪していることを自分の救いのうちに見出してほしいのです。「それとも、あなたのうちにはイエスキリストがおたれることを、自分で身とないのですか」つまりそれは、自分が救われていること認めないのかということ、いや、そんなことはあり得ないという逆説的な言い方です。私たちも、大変革してくださったキリストの救いを、改めて吟味したいのです。