2021年10月24日 説教テーマ 「ともに励まし」

私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。  ローマ1:11 ローマ諸教会の兄姉たちへの挨拶を終え、本文に入り、パウロは自分の強い願いを伝えます。兄姉たちを強くしたいこと(11)、パウロ自身を含め互いに励ましを受けたいことです(12)。強くしたい理由は、福音宣教の実をローマの諸教会で得たいためです(13)。彼らを強くするものは御霊の賜物です(具体的賜物は12章に)。この賜物は、教会が福音を宣べ伝えるために与えられるものです。個人の祝福と成長のためではありません。世界の中心であるローマに偽りの思想が渦巻いています。その中で彼らが振り回されることなく、正しい福音の上に立つことが必要です。そうなることで福音が宣べ伝えられて行きます。パウロは兄姉たちに賜物を分け与えて強くするだけではなく、自分も励ましを受けたいと願っています(12)。主の救いに与かった人は、互いが互いのために励ますことのできる賜物が与えられます。自分に与えられた賜物に気づくためには、他の兄姉を励ますことを求めていく必要があります。ただそれだけでは不十分で、それと同時に、他の兄姉から励まされることを求めなければなりません。私たちが救われて、聖霊の賜物が与えられたのは、自分に与えられた救いの喜びを受けて生きるためだけではありません。その賜物を他の兄姉と分かち合い、互いの信仰によって励ます交わりを築くためなのです。救われた人が、キリストのからだである教会に必ずつながるのは、そのためです。人間のからだ、例えば「手」。手が手のためだけに存在するのではありません。他のからだの機能を補い、助けるために、手は存在するのです。それと同じように、教会において、他の兄姉を励まし、自分自身も他の兄姉から助けてもらう、そういう存在なのです。『他の兄姉に分け与えて力づける。他の兄姉から分け与えられて力づけられる』そういう交わりに生きると、自分に与えられている賜物がより見えて来ます。そして、その賜物による交わりは、必ず、福音宣教のために生かされるのです。信仰の交わりと宣教はセットです。「交わりは苦手だけれど、宣教は積極的」というふうには成立しません。信仰の交わりは、キリストの福音が土台となっていることに気づきましょう。福音…私が救われるには、自分の努力、能力、やる気も、反省も、何一つ役に立ちません。罪に死んでいる私を、キリストが損得なしに、ただ愛して救ってくださる(十字架と復活)ことを、ただ信じる以外に何も出来ないのです。この福音の土台の上に、励まし励まされという交わりが可能となったのです。