2021年10月3日 説教テーマ「主イエス・キリスト」

御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、 ローマ1:3  聖書は御子に関する証言であり、それは前から約束されていたものです。その約束を実現してくださったのが福音(良い知らせ)です。約束が実現されたのは、その約束が与えられている私たちが何か良いことをしたからでも、神に少しでも近い者になったからでもありません。一方的に約束された神のご意志(みこころ)が私たちに向けられ、動いてくださったからです。どんな罪人であっても、ただ神の恵みによって実現した救いに与かることができるのです。それが福音です。私たちは様々なきっかけで福音を信じるようになったのですが、例えば、友達や家族がクリスチャンであったこと、悩みごと、或いは、あえて真理に反発するという人もいるでしょう。それらを比べて、どの人が神の救いに近いかと言うことは愚問です。その人に対する神のご意志がなかったら、きっかけも何も始まりません。福音は御子に関することで、その御子は、「肉によればダビデの子孫として生まれ」た方です。この主張の前提に神の奇蹟があることを覚えてください。人間が理解し得ないものが奇蹟です。「御子」、神の子どもであるイエスは、本質において神です。神が「肉によれば」つまり私たちと同じ人間としてはと主張しているそこには、神が人にという奇蹟があるのです。罪ある人間がこの奇蹟を理解し得るものとなれば、ただ愛するがゆえに、救ってくださるという福音が成立しなくなります。神の奇蹟なしに救いはあり得ません。私たちは教育、行政、司法の恩恵にあずかっていますが、それらは人を救うことは出来ません。どんなにそれらを充実させても、人間を死に至らせる罪は厳然とそこに居座っているからです。その罪から救うのは、神の奇蹟である福音です。御子が「ダビデの子孫として生まれ」ることは、イスラエルの民に対して与えられた旧約聖書の約束です。その実現としてイエスは二千年前、ユダヤのベツレヘムで、ひとりのユダヤ人としてお生まれになったのです。抽象的な人間がひとりもいないように、御子も一つの民族、一人の具体的な人間となり、ある時代を生きることで人間になられたのです。ユダヤ人になられたのは神のプランです。そこからはじまり異邦人に救いが及んだのです。ですから、日本からおよそかけ離れた国の宗教がなぜ私たちを救えるのかという疑問を抱くのは無意味であり、神が人に!という奇蹟により、具体的に私たち人間にかかわってくださったと理解すべきです。