2021年9月19日 説教テーマ「恵みにあふれた最後の挨拶」

終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。  Ⅱコリント13:7  パウロは厳しい態度から一転して、「兄弟たち」と呼びかけます。「喜びなさい」と続きますが、これは「さようなら」とも訳します。つまり兄弟たちへの最後の挨拶です。そのあと、まず伝えたことが「完全な者になりなさい」です。完全無欠ということではなく、教会を築き上げるために罪の問題を正しく扱い、「生活を正しなさい」ということです。こうすることで次の祝福のステップに進むことが出来ます。まず「慰めを受けなさい」というステップです。慰めを受けることは悲しんでいる前提があります。罪を黙認せず、懲らしめることは悲しみを伴います。またパウロのように、相手から不適格と誤解されても、自分の正しさを主張せず、他者の益のために働きかけることも悲しいです。あえて弱くなる歩みです。キリストがそう歩まれました。このように、キリストのうちに歩むから悲しいのです。この悲しみは、キリストから深い慰めをいただくためのものです。ただの悲しみとは違います。これは祝福で、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができます(1:4)。二つ目に「一つ心になりなさい」です。私たちはすべての思いを一つにすることなどできません。本質的なことにおいて一つとなります。「本質的なことにおいては一致を。二義的なことにおいては自由を。そのすべてにおいて愛を。」と述べたのはアウグスチヌスで、的を得た言葉です。ここで言う本質とは、他者のために弱くなり、主の慰めを受けることです。キリストから慰めを受けた人が、キリストの心を持ち、一つ心となることができるのです。三つ目に「平和を保ちなさい」です。これは教会における罪の問題を正しく扱うという、生活を正すことで平和を保つ作業に移ることが出来ます。これに従うなら、神は私たちと共ににいてくださると約束してくださっています。今も共にいてくださっているのですが、それは主に属している立場としてです。主にある立場と、主との交わりは別です。兄姉、この聖書の教えに沿って、教会生活を正しましょう。コロナのために様々な動きが封じ込められている今、神は、教会の大事なところだけ(本質)を取り扱うことができるように、私たちを導いておられます。