2021年11月21日 説教テーマ 自由から得た結果(2)

こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、  ローマ1:26 ローマ人への手紙 講解説教 №8 ローマ1章26-32節  神は人と愛をもってかかわろうとしておられます。その神と人との関係を、人は偽りと取り代えました。偽りの神々とかかわり、拝み、仕えました。そこに向けられた神の怒りが、「恥ずべき情欲に引き渡された」というものです。性的欲望のことです。聖書は人の性関係のことを「自然な用」或いは「不自然なもの」と述べています。前者は、神が創造された男女(夫と妻)に与えられた性関係のことです。アダムに「ふさわしい」助け手が与えられたわけですが、「ふさわしい」は、「目の前にいるように」という言葉から来ています。まさに人と差し向いになったとき、「私の骨からの骨、肉からの肉」と叫びました。これは身内を表す骨肉のことです。ただアダムの場合、骨肉が2倍ですから身内以上の親しさを意味しています。それは結婚の奥義に表されたように、夫婦は一対であり、自分の子どもでさえ割り込んで来ることのできない関係なのです。聖書は人を交わりにおける存在としてとらえています。そして人のすべての交わりの原型が夫婦の交わりです。身も心も一つで、「身も」ですから、神は夫婦に性の交わりを備えておられるわけです。祝福としての性関係であり、それが「自然な用(関係)」です。それを不自然なものにしたのが、男女の結婚関係を無視した性の交わりです。未婚の男女の関係に始まり、恥ずべき情欲の行く末にある同性愛です。人は自由に行いますが、その行った結果は自由ではありません。「当然の報い」身に受けるのです。人は神を知ることに価値を認めなかったので、神は人を「良くない思いに引き渡されました。」その結果、21の不徳が述べられています(29-31節)。これらは法律上の問題というよりも、人の内側、心の罪悪として挙げられています。結局その根は、自分を求めること、自分だけを愛すること、自分だけを実現することです。それは無秩序を招き、人と人とのかかわりを破り、愛を喪失させます。人の罪は恐ろしく、その罪の思いに任せた神の審判は実に恐ろしいのです。福音は人間関係の破れ、愛の喪失状態の中から真の平和をもたらします。福音は不自然な性関係から、男女の正しい愛の関係に戻してくれます。福音は偽りの宗教からまことの神への礼拝へと戻してくれます。