2021年12月5日 説教テーマ 神はえこひいきか?

神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。 ローマ2:6 ローマ人への手紙 講解説教 №10 ローマ2章6-11節 神のさばきがその人の行いに応じたものとなると聖書は述べています。善い行いについては、救われた結果としてのものであって、行いによる救いを述べているのではありません。善い行いについては、まず「忍耐」をもっての善行です(7)。ただの辛抱ではなく、「正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて」(ルカ8:15)の忍耐です。「耐えて」の前にある「正しい~守り」は、神との正しい関係、豊かな交わりがあります。その上での「良く耐え」ることは望みがあります。みことばを守ることも嬉しく、義務にはなり得ません。もう一つの善行は、「栄光と誉れと不滅のものとを求める」ことです。これらは地上にないもので、天の栄光、天の神の誉れ、イエスと同じ復活体をいただく不滅のことです。これらの善を行う人には永遠のいのちが与えられます。いつまでも神とともに生き、神と交わり続ける永遠の祝福を報いとして受けるのです。次に悪の行いへの報いについてですが、そこには「党派心」があります。利己的な思いのことで、自分のことだけを求める人です。真理に従わず、つまり神と人との正しいかかわりについては眼中になく、人と人とのかかわりも同様です。そのように不義に従う故に怒りと憤りを下されるのです。人間は単独で生きるのではありません。私たちは人と共に生きるものであり、交わりを通して生きています。或いは交わりの中で生き、交わりのために生きています。それを故意に拒むことは、本来交わりの中で生きるということの逆説的なしるしです。終わりの日の患難と苦悩が悪を行うすべての人に下ります。終末における(天の)栄光と誉れと平和は、善を行うすべての人に与えられます。終わることのない真の平和が必ず与えられるのです。地上の苦難のままでいることは絶対にありません。このように、人の行いに応じた神のさばきにはえこひいきはありません。神のさばきの判断基準は一つ、真理にかなっているかです。神と人との正しいかかわりがそこにあるか、ないかということです。それを人の行いを見て判断されるのです。個々の行いではなく、人一人の全生涯の行為で、その行いにより、その人がだれであるかわかります。