2021年1月9日 説教テーマ 神の栄光を現す

「あなたが、そのみことばによって正しいとされ、さばかれるときには勝利を得られるため」と書いてあるとおりです。」 ローマ3:4 ローマ人への手紙 講解説教 №13  パウロは2章に続いて、ユダヤ人クリスチャンたちに正しい福音理解に導くために、彼らの罪を示します。パウロは彼らに対して、ユダヤ人も異邦人と同じ罪人であることを主張します。しかし彼らは自分たちが罪人であるというなら、選びの民であること、その証拠として律法が与えられていること、さらにユダヤ人のしるしとしての割礼を受けていることは無意味になるのかと反論します。その反論に対するパウロの問いかけが「では、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか」になります。その答えは、神のことばがゆだねられているところです。「ゆだねられた」とは、神からの語りかけを受け、神の導きを受けて来たということです。そうなれば、それに応える責任があります。ところが彼らは神に応答しませんでした。また、神のことばをゆだねられたということは、神が信頼して任せたということです。民が教えに従って生きることにより、神の栄光が世界に示されていくことを神が望んでおられるので、任せたのです。しかし彼らは神の信頼を裏切りました。神のことばは救われた私たちにもゆだねられています。ですから、宣教の働きを行うことで、神のことばに応答していきたいのです。ユダヤ人クリスチャンたちは、さらに反論します。「神に応答せず、信頼を裏切ったとしても、神の約束は変わらないはず。なぜなら神は真実だから」と。それでパウロが3節で、人の不真実によって神の真実が無に帰するのかと問い尋ねているのです。「絶対にそんなことはありません」と神の真実を主張します。つまり、ユダヤ人クリスチャンたちもパウロも、同じ主張をしているのです。しかし主張する根拠が違います。彼らは自分の正しさを主張するための根拠として主張し、パウロは神が神であることを讃えるための根拠として主張しています。旧約のダビデ(詩篇51))の引用が重要です。ダビデが大罪を犯したとき、神の真実に出会いました。人は簡単に神を裏切ります。しかし神は「…恵みをあなたからもぎ取らず、わたしの真実を偽らない」(詩89:33)のです。神の愛に打ち負かされたダビデは、神に喜んで仕えることと、主の道を宣教すること(詩51:12,13)を望むように変えられました。人間のどのような不真実な状態も神の真実を変えるものではないのです。