2022年2月13日 宣教集会「時が良くても 悪くても」

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。 Ⅱテモテ4:2 テモテへの手紙第二4章1—4節 今、私たちに求められているのは、終末における宣教です。それは困難な時代で、終わりを知った霊的な反対勢力が猛威を振るいます。これに対処するために、寸分狂わず聖書の指示通りに行いたいのです。第一に、キリストの現れとその御国を思いながら(4:1)宣教する、その動機が大事です。「クリスチャンとして有意義に生きること、教会成長のために教勢いを伸ばす」ということは良い事なのですが、地上的な動機です。思い描くは、最初にキリストと直接お会いする空中再臨です。この瞬間、地上の悩み、病、死の一切から完全に報われます。その後、キリストのさばきの座で主から報いを受けます。地上では残された者が患難時代を迎え、その後キリストの地上再臨によってすべてがキリストによってさばかれます。一方主の民は、キリストのさばきの座での報いが、千年王国で、「キリストと共に千年の間王となる」という具体的なものとして与えられるのです。これらのことを思いながら宣教に取り組むのです。そうすることで霊的反対勢力に耐え得る力を保つことができるのです。第二に、宣べ伝え方を聖書のとおりにします。 ①宣べ伝えるのはみことばのみ。それは権威あるキリストのみことばの宣言です。自分の意見や感想を宣言するのではありません。 ➁時が良くても悪くても、つまりあらゆる機会にやるのです。王であり主であるキリストにとっては時が悪くても時宜にかなっています。 ③寛容を尽くします。反対は必ず起こります。しかしお救いになるのは神です。その神の働きを邪魔しないためにも、反対者に対して感情的になりません。 ④絶えず教えます。福音を宣言するのに対して、教えることは宣言したみことばを悟らせます。悟らせ方として、罪をみことばによって明らかにす るために責め、その罪から正しい道へと正すべく戒めます。さらには正しい道を実践すべく勧めるのです。終末における宣教を行う大きな理由は、聖書にある健全な教えに耳を傾けず、真理から耳をそむけるようになるからです。特にクリスチャンが(5,7,8 節)。この人たちはキリストの現れとその御国を思うことをやめた人たちです。 世の終わりの前兆の一つとして、信仰者の愛が冷えることをイエスは言われていました。敬虔に見えても、結んでいる実が一個もない状態です。ですから、聖書のとおりに、主の現れと御国を思いながら、みことばを宣べ伝えるのです。これは厳かな主の命令です。