2022年2月6日 キリストによる贖い

ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。 ローマ3:24 ローマ人への手紙3章23—24節 講解説教№17  キリストを信じる信仰による神の義を伝えたパウロは、再び罪の問題に話を戻しました。「すべての人は、罪を犯した…」の「罪」は「的はずれ」の意味を持ちます。達すべきところに達していない、はずれているという視点から罪のことを説明しています。つまり、聖書は、人が本来到達すべき的を前提に罪について語っているのです。1章を見ると、人の罪の邪悪さが明らかですが、人ははじめから根本的に悪であるとは言っていません。 あくまで的からはずれているのであって、罪を犯すようには造られていないのです。むしろ、神の栄光を現す者として造られました。それは「神のかたち、神に似せて」造られ、そこに本来到達すべき的があるのです。そしてそこに到達していないのが罪なのです(的外れ)。人が神に似るということは、愛の神に似るということです。そこには愛に基づく人格的な交わりが生まれます。神は人と愛を持って交わるために造られたということです。神が人をその罪から救うというとき、人と交わりたいからお救いになります。神との交わりを回復されます。それを「贖いという方法を通してなされます。この言葉はイエスキリストとその十字架をあらわしています。そしてそれは旧約律法に示されている贖いを理解することで、本来のキリストによる贖いを理解することができます。贖いの元の意味は「買い戻す」です。代価を払って自由にすることです。神は律法で贖いについて教えています。➀民の所有地を、貧しくて売った場合、親類が買い戻さなければならないとあります(レビ25:25)。②民が極度の貧しさから自分を奴隷として売らなければならなかった場合、親類は奴隷として売られた者を買い戻す権利がありました(レビ25:47)。ほかにも、民が殺されてしまった場合、買い戻しの権利のある親類は、さばきと復讐をする役割がありました。贖うという言葉には「復讐する」という意味合いも含まれています。これらの教えには、キリストの十字架の働きがあらわされています。いけにえによる犠牲の制度もそうでした。「わたしは、延ばした腕と大いなるさばきによってあなたがたを贖う」(出エジプト6:6) 神は私たちとの交わりを回復させるために、罪を贖う巨大プロジェクト(旧約律法、キリストの十字架)を成し遂げてくださったのです。