2022年4月17日 イースター礼拝 復活の希望に基づく生活

私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。 Ⅰテサロニケ4:14 Ⅰテサロニケ4章13-18節 「生きている時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは何ですか」と問われたら何と答えますか?きょうのテキストはその答えを教えてくれています。テサロニケ諸教会の兄姉の中に、愛する家族や兄姉を先に亡くされた人たちがいました。悲しみに沈んだまま抜け出せずにいる人たちに、パウロは慰めを語りました。死は「最後の敵」(Ⅰコリント 15:26)と聖書が述べるほど、人間にとって絶望でしかないものです。その死に対して真の慰めと希望を得ることができるなら、私たちが抱えるどんな問題も解決することになります。解決する聖書の根拠の第一は、キリストの十字架と復活です(14 節)。このみわざは私たちが救われる時のためにだけ必要なのではありません。この方を信じて救われた場合、キリストと一体となります。それは罪に満ちた私たちがキリストの死と結び合わされ、罪深い自分にキリストとともに死にます。またキリストと一体となったことで、新しいいのちに生かされる者として、キリストとともに復活するのです。キリストが最後の敵である死を滅ぼされ、死は勝利に飲まれたのです。私にもその勝利が与えられたのです(Ⅰコリント 15:25,26 54,57)。解決としての慰めの根拠の第二は、キリストの再臨です(16,17)。キリストが来られて主とお会いするとき、私たちはキリストと同じ復活体が与えられます。まずキリストにある死者に、次に生き残っているキリスト者にという順番です。これまでの弱さ、ストレス、病、不安から解放され、完全な復活体に変えられます。これは慰めであり希望です。実はそれ以上の慰めがあります。それは「…このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいること」(17)です。イエスが十字架と復活を成し遂げられたのも、再びおいでになり、私たちが完全なからだに変えられることも、その本質はいつまでも主がともにおられるということです。それ以上の慰めはありません。