2022年5月1日 説教テーマ 「患難から希望へ」

そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 ローマ5:3、4 ローマ人への手紙5章3、4節 №27 患難の中にいても喜んでいることができる論理を聖書は説明しています。第一に患難が忍耐を生み出すことです。聖書の語る「忍耐」とは、苦しさを耐え忍ぶことではありません。神の命令をひたすら守って歩むこと、それが忍耐の意味です。「忍耐」の原語としての意味は「その下に続く」です。その下に立って耐え続けるのです。どんな妨害に会おうとも、精力的に行くべき道を進むのです。それを可能とするのが神との平和という、神との信頼関係です。神を信頼することは主観的なことですが、苦しみの中で神の命令を守って歩むことができるのは客観的な事実です。その忍耐から生み出されるのが「練られた品性」です。試されたものの質のことです。患難を経験しないとクリスチャンではないなどということは決してありません。しかし、金や銀の鉱物がそうであるように、そこに不純物があるのか、ないのか、そういう質の問題が出てくるのです。クリスチャンは忍耐して神の命令を守る生活を続けていくうちに、不要なものが取り除かれて行きます。この品性は、「何かをしょうめいするために試す」という概念があります。試された結果が重要です。証明されるべきは「希望」です。これは天国のことです。聖書が希望と言ったら天国のことす。最終的に死と悪の根源であるサタンがさばかれ、悪が全て取り除かれます。神の完全勝利が現されて、最終的に永遠の天国が完成する。それを信じて望む、そういう希望のことです。その希望のことを、ペテロは「正義の住む新しん天と新しい地を待ち望んでいる」(Ⅱペテロ3:13)と言い、パウロは「重い永遠の栄光」「天にある永遠の家」(Ⅱコリンㇳ4:17,5:1)と言い、へブル人への手紙の作者は「さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷」(11:6)と言いました。患難→忍耐→練られた品性→希望と、希望は私たちの中で成長させられるもの、育てられるものです。最初は天国というピンと来ない単なる知識、損得勘定だったものから、希望を実現させる方を証ししていくことがクリスチャンの生活だとわかるようになっていきます。そうなると自分本位な我慢から、主に従うための忍耐となり、おのずと品性が磨かれます。その人は生活のただ中で天国の希望を抱き、力と慰めを頂いているのです。