2022年5月29日 説教テーマ 真理はあなたがたを自由にする

…もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。 ヨハネ8:31,32 ヨハネの福音書8章31-36節 国のルールで、或いは国家間の争いで信仰の自由を奪われている人々がいます。しかし、聖書は、たとえ捕らわれの身となっても自由でいることのできる幸いを保障しています。「真理はあなたがたを自由にする」という約束です。イエスのことばにとどまるなら、この自由が与えられます。主のことばにとどまる人とは、イエスのことばを聞き続ける人のことです。この教えの背景にはイエスのことばを聞くのを止めた人たちがいます(6:60)。聞く人と聞かない人の違いは、聞く必要性があるかないかです。ヨハネ福音書に記されている、イエスのことばを聞く必要がないとした人たちには、その理由があります。自分たちは「アブラハムの子孫だ」ということです。要するに「自分は神に選ばれている、正しい、既に自由なのに、なぜ自由を促すことを言われなければならないのか」と言う具合です。しかしイエスは彼らに、「罪を行っている者はみな、罪の奴隷です」と、現に罪を犯す生活をしているあなたがたに自由はないと直球を投げつけました。これに対して、イエスのことばを聞く必要のある人たちは、なぜ聞く必要があるのか?それは自分が罪の奴隷であることがよくわかっているからこそ、イエスのことばを聞かないではいられないのです。しかしこの人こそ自由があります。それは罪の束縛から自由にする真理が与えられたからです。この自由を奴隷と息子の違いで説明しています。奴隷は主人に必要とされている時にだけ主人の家にいることができます。息子は主人に必要とされるか役に立つかということは関係なく、主人の家にいることができます。家族の一員だからです。役に立つかどうかではなく、存在そのものが愛されているから、いつまでも家にいることができる、すなわち真の自由がそこにあるとイエスは説明するのです。イエスこそ、御父に愛されていることを知っておられる自由なお方です。その自由をもって、この世界に人となられて来られたのです。その自由をもって罪の奴隷である私たちのために十字架への道を歩まれました。「真理」とは「イエスキリスト」のことです。この方を信じて自由を頂いてください。この方を宣べ伝えて、自由を提供してください。