2022年6月5日  説教テーマ「罪と死、恵みといのち」

ただし、恵みには違反の場合とは違う点があります。もしひとりの違反によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、神の恵みとひとりの人イエスキリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。 ローマ5:15 ローマ人への手紙5章13-17節 №31 アダムによる罪と死が述べられることで、キリストによる恵みといのちが圧倒的な力で勝利することが教えられています。第一に、罪の影響による死の威力についてです。律法が与えられる前のアダムからモーセに至る期間は、罪はあるけれど、罪の違反がありませんでした。律法が与えられ、偽りの証言をしてはいけないと教えることで、明らかな違反が生じ、人を罪に駆り立て、罪を宣告しました。そこに神の怒りが招かれます。死は、罪の違反が成立していないときにも、死は人々を支配したのです。アダムはエデンの園において、神の戒めに背き違反を犯しました。そのような違反の罪を犯さなかった人にさえ死が入り込んで支配しています。罪の恐ろしさは際限がありません。さて、聖書はそのアダムが来るべき方のひな型であると教えます。アダムを見ることでキリストを知ることが出来ます。アダムの罪により全人類が死にました。避けることのできない必然的な結果です。しかし、「それにもまして神の恵みとイエスキリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。」(15)全人類の死は確実です。しかしその確実さよりも、キリストの恵みの賜物(義とされること、神との平和を持つこと、完全な救いを頂くこと)のほうが確実であると聖書は言っているのです。今なお、翻弄し続けることを強いる疫病は特定の治療薬も完全なものはありません。地球は温暖化も、大地震も対処しきれない多くの問題を抱え、対処検討中です。しかし人間にもたらした罪と死については、対処検討中では死んでしまうのです。その問題を完全に上回る対処が必要なのです。アダムの違反によるさばきは、死刑の宣告です。それにもまして、上回るものは、義の宣告です。無から有を造り出す神の奇蹟のわざです(16)。残酷な暴君、最後の敵である死が支配するようになりましたが、キリストによって、いのちある支配をされたのです。この恵みは究極です。完成された御国に、永遠に王として支配することです。死に支配されていた者が、キリストによる御国において王として永遠の支配という圧倒的な勝利をおさめるのです。