2022年7月3日 説教テーマ 「罪との戦い」

また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなた方自身とその手足を義の器としてささげなさい。 ローマ6:13 講解説教 ローマ人への手紙6章12-14節 №35 キリストにつくバプテスマを受けた私たちは、罪に対して死に、キリストにあって生きた(よみがえる)者とされました。罪の支配だった者が今、恵みに取り囲まれているのです。そのことの自覚を促した上で、次に聖書が求めているものは、「情欲に従ってはいけません」という信仰生活の実践です。確たる立場を与えられた者として、その立場に当てはまるものは何か?その立場に基づく行動はどういうものか、ということが要求されているのです。私たちは今恵みの下にあります。だから、罪の下(支配下)に後戻りしないで、現に恵みの下にあるものになりなさいと強く迫ります。これは罪のない者になるべきであると言っているのではありません。というのも、私たちの持つこのからだは、「死ぬべきからだ」であって、弱く、死の伴うものです。ですから、罪はなお信仰者のうちに支配しようと、あらゆる誘惑を仕掛けてきます。その誘いに乗るならば、罪を呼び入れ、再び罪の奴隷となる危険性があるのです。そこで聖書は信仰者に罪と戦うことを勧めているのです。主の救いに与っていない人は罪と戦いようがありません。罪の完全な支配のもとに完敗状態です。しかし私たちは罪と戦うことができるのです。戦い方として、私たちの手足或いはからだ全体を不義の器として罪にささげないこと、むしろ、死者の中から生かされた者として、自分を神にささげることです。これらの要求を厳しいと受け取るか、或いは従いと願いながら受け取るかは、14節をどう受け取るかによります。そこには、もう罪は私たちを支配することはないとあります。その宣言の理由が、私たちが律法の下にないからです。もし律法の下なら、私たちのうちにある罪は弱くなりません。むしろ罪が増すのです。私たちはそれではなく、恵みの下にあります。それを認める人は、罪の誘いと戦うことができます。罪にささげまいと戦い、義の器として、自分のからだを神にささげようと戦うことができます。なんの功績もないけれど、自分を神にささげることのできる立場にあることを知り、自分を神にささげることができる幸いを実践しましょう。