2022年9月4日 説教テーマ「神の子どもとして」

あなたがたは、人を再び陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。 ローマ8:15 講解説教 ローマ人への手紙8章12-17節 №43 肉に従わざるを得ないところから救い出された私たちは、肉に従わなくてもよい自由が与えられています。もし肉に従って歩んでしまうなら、いのちと平安が失われた死の状態になります。私たちには肉の行いを殺すことができる御霊が与えられています。その御霊の導きで、神の子どもとしての身分が与えられました。神の子どもには特別ないのちがあります。永遠のいのちとも呼びます。そのいのちのことを、聖書は「唯一の真の神であるあなたと、あなたの遣わされたイエスキリストを知ること」(ヨハネ17:3)と説明しています。つまり、いのちを持つという場合、関係を持つと言い換えることが出来ます。独りではいのちはないということになります。確かに、神が人を造られた目的は人と交わるためです。その交わりは「アバ、父」と呼ぶほど親密です。基本的にユダヤ人の神との関係は、「私たちは聞き従います。しかし、神が私たちにお話にならないように。私たちが死ぬといけませんから」(出エジプト 20:19)とあるように、彼らにとって神との恐ろしい関係だったのです。クリスチャンになっても、み言葉を守らなければならない拘束感や義務感が拭えない人は、父の神、子の自分という親密さを持っていることを自覚しましょう。子どもが「パパ」と呼び、父が「子どもたちよ」と語りかける…そこに交わりがあり、互いの愛の呼応があります。父と子を一つに結ぶ聖霊の働きが私たちにはあります。そして神の子どもであるなら、父のものを相続する特権が与えられています。しかもキリストとの共同相続人ですから、キリストが父から任せられているすべてのものを相続することになります。それはキリストの王国すべてです。天の御国を受け継ぐのです。そのキリストとは、「栄光をともに受けるために苦難をともにしてい」ます。コロナを含めたすべての災いや迫害で苦しみ、福音のために苦しみます。この苦難の交わりの中に、将来の終末的な永遠のいのちと栄光とが開かれています。もし、あなたがキリストにあって罪に定められていないなら(8:1)、この将来の約束は確実にあなたのものです。