2022年10月16日 説教テーマ「神の救いのご計画」

もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。 ローマ9:3 講解説教 №49 パウロの語る福音を聞いたユダヤ人クリスチャンたちは、不安になりました。神の民として選ばれ、契約と律法が与えられているから救いが約束されているのではないことを知ったからです。このような前提があって9~11章の新たな内容が記されています。パウロが抱く大きな悲しみと心の痛みの原因はユダヤ人の不信仰です。彼らはイスラエルの民と呼ばれます。一つの民族が神に選ばれ、立てられた神の民を意味します。彼らは神の子としての身分と栄光を与えられ、神の救いに与る契約の相手とされ、みこころを行うための律法が与えられ、神の御前に出て礼拝することがゆるされ、将来の救いの完成の約束を与えられています。究極の祝福としては、イエスキリストもイスラエル人であることです。この事実があるからパウロは悲しんでいるのです。なぜなら、彼らの祝福としてのイエスキリストを受け入れないからです。そのことが、既に与えられた祝福の約束を取り消されることになるのか、ここで述べているのです。パウロはただ悲しんだだけではなく、同胞が救われてほしいと願いました。そのためなら、自分がキリストから引き離されてもよいと願うほどです。この願いは、民の罪の赦しを願うモーセに通じます(出エジプト 31:32)。同胞への熱い思いをどうしたら持つことが出来るのでしょう? 滅ぶべき私たちが、救われ、神の子とされ、御国を受け継ぐところの救いの完成が与えられるのは、すべて神の救いのご計画に基づいています。パウロは、その神のご計画を見たとき、同胞のことを思わずにはいられませんでした。イスラエルが神に選ばれることはご計画によることです。ところがキリストの敵に。そのご計画は駄目に…実はならないのです。一度あわれみによって召した者を、神はその罪故に見捨てられることはないのす。むしろ、民の反抗さえも使って、ご自身のご計画を推し進めて行くことができるのです。私たちの伝道においても、神のご計画に基づいて召してくださるなら、人間の目に到底不可能と思われる救いが実現します。