2022年10月9日 説教テーマ「圧倒的な勝利者」

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 ローマ8:37 ローマ人への手紙 講解説教 №48 ローマ8章33-39節  私たちの敵対者は「訴え」、「罪に定めようと」サタンです。私たちを神の前で有罪にしようと訴えています。弱さ、欠点、失敗を思い知らせることで攻撃してきます。そうして、私たちが神とかかわる一切のものを阻もうとするのです。しかし神が私の味方となって、この敵と戦ってくださいます。その戦い方は「ご自分の御子を死に渡す」という仕方です。サタンは私たちを罪ありとして訴える者ですが、そもそも神こそ、聖なる方ゆえに罪人である私たちを、自らに訴えておられたお方です。ところがその訴えを御子にぶつけることで(十字架)、私たちを義としてくださったのです。もうサタンは訴えようがありません。また、サタンは私たちを罪に定めることもできません。それは死者の中から復活されて今も生きて私たちのために弁護(とりなし)をしてくださるからです。私たちの罪に対する訴え、さばきはキリストのゆえにすべて終わっています。このキリストの愛からだれも引き離すものはありません。35節に述べられている諸々の苦しみは、神が味方であるという感覚をわからなくさせるでしょう。ただ36節の旧約の引用があるように、信仰者が苦しみを受けることは昔からのことであって、あるまじきことではありません。しかし聖書は敗北と思われる私たちの現状を承知で、「圧倒的な勝利者となる」と約束してくださってくださいます。それは勝利を超える勝利で、人間の苦しみの根本である死さえも、神の愛から引き離すことが出来ないです。死の反対のいのちも、すなわち生きていることで受ける誘惑や慢心さも同様です。今降りかかる災難も、のちに必ず受ける困難も、暴君や悪霊も、次元や空間といった領域における様々なことも神の愛から引き離すことはできません。文字通り、圧倒的な勝利を与えてくださるのです。神が私たちの味方であるがゆえの圧倒的な勝利が、私たちにとって偉大過ぎるので、信じられないし、自分のこととして自覚できないかもしれません。だから、御国に至るまで、この約束を繰り返し確認していきましょう。