2022年12月11日 説教テーマ「福音宣教の重要性 」

そのように、信仰は聞くことから始まり、聞く ことは、キリストについてのみことばによるの です。 ローマ10:17 ローマ人への手紙 講解説教 №57 ローマ10章14-21節 主の御名を呼び求める者はだれでも救われるのであれば(13)、その「主の御名を呼び求める」ことはどのようにして起こるのか、特にユダヤ人たちに起こるべきそのことが起こっていないのか、ということを考えていきます。まずパウロが述べたことは福音宣教における神のプランです。それは『神が遣わされたことで宣べ伝える人が起こり、遣わされた人が宣べ伝えるから聞くということが起こります。また、聞いたことによって信じることが起こり、信じたことによって呼び求めることが起こるのです。』ここに人の意思や決断、行動が見られますが、すべては神のプランで起こっています。私たちが救われるために神の綿密なプランが立てられていることにまず感謝しましょう。一方で「すべての人が福音に従ったのではない」と、これはユダヤ人たちのことです。彼らが信じて従わなかったのは、「信仰は聞くことから始まる」(17)とあることから説明しています。「聞く」ことは信仰において決定的に大事なことです。確かに神のプランが先にあり、神の恵みのわざが先行します。ただその時に、人がみことばを信じて御名っを呼び求める者となるためには、聞くということがなければなりません。ユダヤ人たちは聞いているつもりで聞いていなかったという、聞き方に問題がありました。聞くことは知るための手段ではなく、信仰においては本質的な事柄です。それは「キリストを聞く」のであって、そこには主の働き、臨在、生きた交わりがあります。その聞き方がどうしても出来なかったので、出来るようになるために異邦の民(バビロン)に民を奪わせたのです。しかも神は彼らのためにずっと御手を伸ばされていました。キリストを聞くことが信仰のいのちです。そのために神のプランの福音宣教があります。