2022年12月19日 説教テーマ 「恵みの選びによって残された者」

それと同じように、今も、恵みの選びによって残された者がいます。 ローマ10:17 ローマ人への手紙 講解説教 №58 ローマ11章1-6節  救いは神の選びの働きによるのであり、人間の行いは一切無関係です。しかしユダヤ人たちは、自分の力で律法を行い、そのことによって神に義と認めてもらう「自分の義」を追い求めました。彼らに福音がくまなく宣べ伝えられたにもかかわらず、「キリストを聞く」ことに失敗しました。そのような「不従順で反抗する民に対して、(主は)一日中、手を差し伸べた」のです。その続きとして11章1節の問いがあります。「すると、神はご自分の民を退けてしまわれたのですか」パウロは「絶対にそんなことはありません」この断言はどこから来るのか、第一にパウロ自身から来ます。自分は純粋なユダヤ人で、キリストに従う者を死なせるほど憎み、つまりはキリストを憎みましたと。その私が今は異邦人に福音を伝えるために選ばれたイスラエル人ですと言っています。神がユダヤ人を退けたなら、わざわざユダヤ人を選んで、ユダヤ以外の世界に福音を宣べ伝える者を立てはしないということです。2節にある「あらかじめ知っておられた(ご自分の民)」とは、愛の契約をもって選ぶことを意味しています。神はご自分で立てたその契約を守るために民を捨てないのです。さらに選びの素晴らしさを伝えるために、「エリヤに関する箇所」を引用します。北イスラエルのアハブ王とその妻イゼベルはバアルの偶像礼拝に加担し、預言者たちを殺害し、バアルの預言者を集めた最悪の王です。それに象徴するように、この時代のイスラエルは霊的に最も荒廃していました。イゼベルに命をねらわれたエリヤは、神の側につく者はだれもおらず、自分一人が残されたと神に訴えます。しかし神は「わたしはイスラエルの中にバアルにひざをかがめない七千人を残しておく」とお答えになりました。主はご自身のために残しておかれます。決して彼らを捨てないと契約(約束)されたご自身のために残されるのです。聖書はそれを「恵みの選び」と言っています。今の私たちの時代は終末ゆえにエリヤの時よりも荒廃しているでしょう。そこにこそ恵みの選びがあり、残りの民を必ず用意してくださいます。