2022年12月25日 説教テーマ「飼葉おけに眠る救い主」

あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。 ルカ2:12 クリスマス礼拝説教 ルカ2章1-7節 神のことばである聖書は、書かれたことば一つ一つに意味を持ちます。例えば、それが「~の中に」という前置詞であっても大事な意味を持ちます。そうであれば、神が何かを伝えようとする象徴的なことばはなおさら大事になってきます。イエスがお生まれになって寝かせられた「飼葉おけ」はその一つです。御使いはそれを「しるし」と告げました。生まれた場所を特定するしるしではありません。そうであったら、わざわざ家畜のえさ入れなど選ぶはずはありませんし、家畜を飼う家は沢山あって、しるしには適しません。そういうことではなく、しるしは「合図、前兆」です。そもそもなぜ、家畜のいる場所で出産しなければならなかったのか、事の流れを見ると、当時のローマ皇帝から出生地での住民登録の勅令が出たからです。ヨセフはベツレヘムで登録するために、身重のマリアを連れて来たのです。ところが町は登録者でいっぱい。やむを得ずと思いきや、イエスがベツレヘムでお生まれになることは神がご計画の中で定めておられたことで、時の皇帝さえも動かして成就したのです。全能者にやむを得ずはありません。飼葉おけに隠されたメッセージがあるのです。それは幼子イエスが多くの人々から拒絶されるといサインです。これは聖書が述べる救いの信ぴょう性を逆に高めています。それは旧約、新約いずれの聖書も告げていたことでした(イザヤ1:2,3 ヨハネ1:9-11 ルカ2:34,35)救い主が人々を罪から救うから拒絶されるのです。罪を指摘されることは誰もが嫌なことですから。しかし、拒絶そのものが人間の罪の本質を表しています。罪は神と人、人と人とのかかわりの断絶、破壊です。言い方を変えるなら、人には断絶や破壊の真逆にある「愛による一つ(一致)」がありません。ですから、どんなに時間が経過しても人と人との争いはなくなりません。神と人とのかかわりはなおさらなのです。そしてその報いとして人は「死」を受けなければなりません。だれもが死に向かっているのはそのことです。ですから救いが必要なのです。羊飼いたちが素直に知らされた救いを受け入れたように、イエスが罪から救う方であることを信じてください。