2023年1月22日 説教テーマ「神の恵みによって」

私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました…。 Ⅰコリント15:9、10前半 Ⅰコリント15章6-11節 キリストを信じて、救いに与って生きる人、或いは救いに与って既に死んだ人が永遠のいのちを生きる復活のからだが与えられます。言い換えるなら、全ての人間が必ず捕えられる死の力が最後に滅ぼされて、キリストによって完全勝利が与えられます。信仰者の究極的な希望です。しかし、もし死者の復活がないとしたら、これまでの聖書の教えも、倫理、道徳に過ぎなくなり、今パンデミックの苦しみが加わり、それでも力を振り絞って礼拝を守り、奉仕にみをささげる惨めな者となってしまいます。ですから、死者の復活について確認をしているのです。常識で考えれば荒唐無稽な事柄を、何を根拠に信じることが出来るのでしょうか。それは聖書が伝える「福音」に究極的な希望の根拠があります。福音は自分で見出すことのできないもの、人が考えて到達できるものではありません。キリストが最初に来られてから、人から人へ、教会から教会へ受け継がれて来たもの、それが福音です。その内容は私たちの罪のためにキリストが死なれたこと、葬られたこと、三日目によみがえられたことです。ここで重要なことは、福音が教えや戒めではないということです。「こういう教えに従えば救われます」というものではないのです。申し上げたいことは、救われるために私たちが何かをするということではない、救われるために神が何をしてくださったかということです。パウロは「月足らずで生まれた者と同様な私にも(キリストが)現れてくださいました」と述べました。教会を迫害し、信仰者を殺害することを良しとしたパウロ、真理に逆らって取り返しのつかないことをしたパウロに、復活のイエスが現れてくださったと言っているのです。パウロに現れたのは、滅ぼすのでも、罰するのでもなく、救うためです。救うためだけではなく、この福音を宣べ伝えさせるためです。パウロはそれを「神の恵み」と言い、それによって「今の私になりました」と言っているのです。福音は罪によって破壊されたものを再創造してくれるものです。それは人が何かできるものではなく、徹頭徹尾神がしてくださったものです。