2023年1月8日 説教テーマ「主の日の切迫を心得よ」

主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。 Ⅰテサロニケ5:10 新年礼拝説教 Ⅰテサロニケ4章13-18節 「目ざめていても、眠っていても、主とともに生きる」とは、信者が実際に生きていても、死んでいてもという意味です。問題は死んでも主とともに生きることを、どう解釈するかです。そのことを3年計画で取り組み、聖書の通りに生きようとしています。もし聖書の理解が不十分だと不安な生活を送らなければなりません。聖書の理解は、自分に与えられた救いの理解でもあります。罪から救われた私たちの救いは具体的にどういう救いなのか、どこまでを救いというのか、特に死生観は曖昧にしてはなりません。1年目は「主の日の切迫を心得よ」です。Ⅰテサロニケ 5章 2節に出てくる主の日とは終わりの日、神の怒りによる裁きの日のことです。これは必ず来ます。旧約聖書でも預言されていて、そこを見ると主の日は患難時代と呼ばれるものであることがわかります。しかしキリストの救いに与っている人は患難時代を経験することはありません(Ⅰテサロニケ5:4)。その理由は、患難時代の前に信者をキリストが引き上げてくださるからです。その説明がⅠテサロニケ4章13-18節で教えられています。キリストが信者(教会)を引き上げることを「携挙」と言います。キリスト教会の中には患難時代を経験したあとに携挙されると教える教会も少なくありません。その人たちは4節の「その日(主の日)が、…あなたがたを襲うことはありません」をどう理解しているのでしょう。携挙の時が来ると、救われた人は全員天に上げられます。全員の中に既に亡くなった信者たちも含まれます。ゾンビ?!…自分なりのイメージを払拭するのが3年計画です。罪からの救いは、罪の報酬である死からの救いでもあります。つまり復活です。そうでなければ、聖書が語る救いは救いではありません。イエスキリストが十字架で死なれ、三日目によみがえられたのはそのためです。携挙は❶キリストが天から来られる。❷キリストが号令をかける。❸御使いのかしらの声が響く。➍神のラッパが鳴り響く。❺キリストによってキリストにある死者が最初によみがえる。❻生き残っている信者が彼らと一緒に雲の中に一挙に引き上げられる。❼空中でキリストと会い、いつもでもともにいる。終わりの日が必ず来ることと、キリストにある人たちの携挙の事実を受け止めるなら、今後何があっても大丈夫です。大丈夫の根拠はキリストにあります。