2023年3月26日 説教テーマ「死は勝利にのまれた(1)」

朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。 Ⅰコリント15:53 Ⅰコリント15章50-53節 死者の復活についての結論部分です。まず聖書が言いたいことは、「血肉のかrだは神の国を相続できません…」ということです。このからだは神の国である永遠の住まいには全くふさわしくありません。復活の希望は必ず実現しますが、正しい希望の抱き方が必要です。今のこのからだで、或いはこの人生で、救いの完成を得ることは出来ないと知ることです。このことは人生が上手くいっていると忘れがちです。問題なく、平穏無事であればいい。成功もそこそこ。しかし何かが起こればたちまち失うのが地上の人生です。ウイルス、温暖化、地震、洪水、物価高…何も起こらない保証は益々ないでしょう。この地上の状態から神の国を相続することはありません。私たち自身のことを考えて見てください。主の命令である隣人を愛しなさいということはわかっています。でも、いつできるようになるのでしょう?繰り返します。このからだの状態から神の国を相続することは決してありません。この人生の中で救いが完成することは元々ないのです。まずそのことを知るように念を押してから、本当に言いたいことは、通常私たちの目には隠されている奥義或いは神秘を告げ知らせることです。それは「私たちはみな…変えられる」ことです。この朽ちるからだが朽ちないからだという本質的に全く違うものに変えられます。それがどのようにして起こるのかは、既にテサロニケ第一 4 章から教えられ、ここでも教えています。「終わりのラッパ」が合図で、たちまち、一瞬のうちに変えられます。奥義、それは信じる信仰によってでしかわからない事柄です。変えられることなしに神の国を相続することは出来ません。そしてこの復活なしの救いは、本物の救いではないことを知らなければなりません。復活なしは、この地上の生活で救いの影、救いの兆しを得るだけとなってしまいます。悩み苦しむからだに埋没して、大事なことを見失ってしまうことにならないようにしましょう。地上においてこのからだは朽ちす。しかし私たちの人生は地上がすべてではないことを承知しておきましょう。朽ちるものは朽ちないものを着なければならないのです。それで初めて天の御国の人生スタ ートです。