2023年3月5日 説教テーマ「天に属する方のかたち(2)」

私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上(天に属する方)のかたちをも持つのです。 Ⅰコリント15:49 Ⅰコリント15章42-49節 聖書は「種粒」と「実(のちにできるからだ)」の違いから、今のこのからだと復活体の違いとを明らかにしました。ですから朽ちるこのからだから復活体をイメージしてはなりません。イメージできないからです。種粒に見た今のこのからだを「血肉のからだ」と述べています。これは創世記2:7を引用して「最初の人アダムは生きた者となった」と説明しています。神は土地のちりといのちの息を吹き込まれて人を創造されました。人を構成している要素は土でありちりです。神は人を弱い者として造られました。ですから聖書は朽ちるもの、卑しいもの、弱いものとして血肉のからだを表現しています。人の弱さは他の生き物とは違う、神に依存する存在として造られているということです。それが人であるなら、自分の中から神を除外すると不自然になり、自分の弱さを受け入れられなくなります。血肉のからだに対して、「御霊のからだもある」と聖書は述べています。それは神に属するからだであり、朽ちないもの、栄光あるもの、強いものです。両者は人のいのちか神のいのちかの違いであり、その違いにより朽ちるか朽ちない…かということが決まります。神に属するからだは「最後のアダム」と表現されて、それはイエスキリストを指します。人として生まれ、人として痛みと恥とを受け、十字架で死なれ、葬られ、三日目に肉体をもって死者の中からよみがえられたお方です。このキリストのからだが神に属するからだであり、御霊のからだです。原則として、最初にあったのは、血肉のからだで、御霊のものはあとに来ます(46)。これは私たちが朽ち行く血肉の者としてこの世界に生れ、新しく生まれたときに御霊のものとなるということであり、或いは、血肉のからだが与えられ、復活のときに御霊のからだが与えられるということを意味します。「第一の人」すなわち「地から出て、土で造られた者」は起源も特質も地上のものです。それはあくまで地に根差し、地に拘束されたものです。地のみ適したものです。点では不適切ですから、変えられなければなりません。天からの者はみな、天から出た者に似ます。最初は土で造られた者に似ていましたが、救わて、天から出た者に変えられて行きます。それはすなわち、天に属する方のかたち、キリストに似せて変えられます。