2023年4月23日 説教テーマ「神のいつくしみと厳しさ」

そのとおりです。彼らは不信仰によって折られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がることなく、むしろ恐れなさい。 ローマ11:20 ローマ人への手紙11章17-24節  きょうの聖書テキスト範囲において、パウロはローマ諸教会にいる異邦人クリスチャンたちに、思い上がって誇ることがないように教えています。これまでの流れでわかるように、神は異邦人を救おうと計画をされています。そのために「選民!」と高ぶり、キリストを拒否するようなイスラエル人を見捨てたのだと、思い上がっている人たちが実際にいたのでしょう。そこでパウロは一本のオリーブの木のたとえを話しました。「枝の中のいくつかが折られ」とあるのは、イエスキリストを拒否した不信仰なイスラエル人のことで、「野生のオリーブ」は異邦人のことです。野生というのは神によって手入れをされていない状態のことで、そのままでは良い実を結びません。私たちも野生のオリーブの枝になるわけですが、そういう枝(異邦人)が、キリストに接木されて「根から豊かな養分を受けている」のです。ここで言いたいことは、接木された異邦人が救いに与ったのは、その人自身の力によってではないということです。根がなければいのちはないのです。しかもその根に元々つながっていて養われた枝はユダヤ人たちです。彼らは神によって大事に手入れされ、養われていたのです。しかし、イエスキリストにつまずき、救いを拒否しました。つまり、彼らはその枝を折り取られたのです。その代わりに本来恵みを受けるに値しない野生の枝である異邦人が木の根に接木され、救いに与ったのです。ですから異邦人は誇ってはならないのです。たとえ誇ったとしても、神の救いの力が彼らを支えているという事実は変わりません。ユダヤ人たちの不信仰により、異邦人たちの信仰が成り立っているという仕組みを良く考えてください。ユダヤ人たちが見捨てられたのは、キリストを信じなかったからです。彼らの資質や行いが悪かったからではありません。また異邦人が救われたのは、キリストを信じたからです。彼らの資質や善い行いによるわけではありません。いずれも「根」が重要です。異邦人たちが思い上がる要素は全くありません。この聖書の理屈から言うと、「クリスチャン」という立派さはそもそもないということになります。クリスチャンでない人たちより優れているということもありません。また、「自分は立派なクリスチャンになれない」と卑下することも間違いです。「根」を忘れないでください。私たちは自分の力で立っていないのです。神の絶大な恵みという根っこに支えられていて、根がなければたちまち倒れる、そのように立っています。この聖書理解から、いつくしみと厳しさに富んだ神を理解することができます。そこから恐れが生じ、その恐れから感謝と喜びが芽生えます。