2023年4月30日 説教テーマ 「極めがたい神の道」

神は、すべての人を不従順のうちに閉じ込めましたが、それはすべての人をあわれむためだったのです。 ローマ11:32 ローマ人への手紙11章25-36節 接木された野生の枝(異邦人)、一度折られたが再び接木される枝(イスラエル人)、いずれも根(神)が支えているという話をしました。根が支えている以上、思い上がることはおかしなことで神を恐れなければいけません。パウロは異邦人クリスチャンたちが思い上がって「自分を知恵のある者」と考えないようにするために、「奥義」としての神のお考えを教えました。イスラエル人がかたくなにされたことで、彼らにも異邦人にも救いが及ぶというもので、イスラエル人が頑なにされた のは神の計画の一環です。イスラエル人が救いを拒否することによって異邦人に救いがもたらされ、更には異邦人の救いに対してイスラエル人にねたみ(神への救いの意欲)が起こり、両者を救うという神の計画です。イスラエル人のイエス拒否は一時的なもので、「異邦人の満ちる時」(空中携挙)までです。さて、イエスを十字架につけるほどに拒否をした人たちが本当に救われるのだろうかという疑問が残りますが、パウロは旧約聖書を引用して神の計画を説明します。そのみことばは「救い出す者が…罪を取り除く」というものです。神は悔い改める者に救いを与えると仰せられていないところに着目してください。救いは神が罪を取り除くことです。人間の側が悔い改めるという条件を満たすことによって救いが与えられるわけではありません。神が自由な恵みとあわれみによって救い主を遣わし、罪人の罪を取り除き、赦し、救ってくださるのです。その救いは神の契約でもあります。今なぜ救われたのか?なぜ接木されたのか?なぜ選ばれたのか?救いたい!罪を除きたい!と神が愛されたからです。また、そのために結ばれたご自身の契約を守るためです。福音に関して言えば、イスラエル人は神に敵対している者です。しかし選びに関して言えば、父祖たちのゆえに、神に愛されている者です。しかしその父祖たちも選ばれるにふさわしい者ではありませんでした。異教の地の出であるアブラハムは、イスラエルの祖ですが、子が与えられると約束されたときには夫婦ともに90歳以上、子を設けるからだではありません。なぜ神は無理な約束をされたのでしょう。それは人間側の 条件で与えられたり、失ったりするのではないことを明らかにするためです。神が選び、救うと言ったらそうなるのです。その根拠は神の中にしかありません。異邦人もイスラエル人も不従順に陥りました。自ら犯した罪です。神は彼らをそのまま不従順のうちに閉じ込めました。人が救われるということにおいて、自らの力で罪のうちから抜け出すことが出来ないことをわからせるためです。そのことによりすべての人をあわれむためなのです。