2023年6月11日 説教テーマ「キリストに結ばれた一つのからだ」

大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官なのです。 ローマ12:5 ローマ人への手紙12章4-8節 前回、「受けるに値しない者に与えられる神の恵み」という新しい量りで自分を評価することを教えられました。新しい自己評価によって新しい交わりが生まれます。それが一つのからだです。他と比較しながらの自己評価の中ではその交わりは生まれません。むしろ交わりを壊してしまいます。しかし神のあわれみに基づく自己評価は、罪と弱さに満ちた自分、まさにあわれみなしには存在し得ない本当の自分がわかります。その自分がいると、同じ量りで量る相手もいて、自分と同じ罪人として受け止めることができます。あれこれと比較した上での相手ではないのです。そこに初めて一つのからだとなっていく交わりがあるのです。新しい自己評価は、正しい生き方において大切なものです。しかしそれは自分のためにはあるのではなく、一つのからだである新しい交わりのためのものとしてあるのです。クリスチャン生活は自分一人でできる個人的な生活ではないということがわかります。キリストに結ばれた一つのからだを形造り、おのおのがその器官として生きます。これは多くあるうちの一つの生き方ではありません。クリスチャンの唯一の生き方です。そのための手段が「賜物」です。神のあわれみによって救われたクリスチャンたちはすべて自分の賜物を持っています。神から与えられた恵みによって持っているということが重要です。もし恵みによるものではなく自分の願いや意志に従うものであったら、一つのからだを造ることは決して出来ません。そこにはすぐさま比較の世界に陥ります。パウロはここにいくつかの賜物について教えています。すべての賜物が含まれているわけではありません。「預言」は聖書のみことばを解き明かすもの(説教)です。「奉仕」は他の兄姉の必要を助けるものです。仕える機会を常に見いだそうとする賜物です。「教える」は解き明かされた聖書のことばを、生活にどのよううに適用させるかを教え、説明するものです。「勧め」は解き明かされ、どう実践するのかを教えられた聖書のことばをもって励まし、助言します。信仰生活は失敗がつきものです。励まし役です。「分け与える」は必要に応じて兄姉に与えます。自分の報いや 後のことに心を分かたず単純に与えます。「指導する」は全体を管理し整えます。「慈善」は困っている兄姉を助け、寄り添います。これらは主にある新しい自己評価で初めて成り立つ賜物です。自分のための賜物はありません。