2023年7月16日 説教テーマ「善をもって悪に打ち勝ちなさい」

喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。 ローマ12:15 ローマ人への手紙 12:15-21 喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣くことを主は命じています。この命令で大切なのは「ともに」です。喜ぶ相手とも、悲しむ相手とも、その人たちとともに生きることがこの命令の根本にあります。ともに生きるための具体的な教えの一つが「互いに一つ心になる」ことです。これは人間関係の調和としての一つ心のことです。調和のために「思い上がることがな」いようにしなければなりません。これは自分の得になることを求めないと言うことができます。自分の意見を主張するのと、相手の話を聞くに徹するのと、どちらが得でしょうか?思い上がることがないために、「身分の低い人たちと交わる」ことが命じられています。社会的に重んじられず、評価されていない人のことですが、こういう人たちから話を聞こうとすることが、ともに生きるということです。思い上がることは、自分が正しいと思わなければ出来ないことです。しかし私たちは神にあわれんでいただかなければ存在し得ない者です。正しさを含めて何も持っていないものです。ですから、自分を知恵のある者と考えてはいけない」のです。さらに聖書は「悪に悪を返さず、善を行うように心がける」ことも命じています。これは迫害者を祝福することであり(14)、「できる限り、すべての人と平和を保つ」(18)ことです。神はなぜ私たちにこんなに難しい命令をされるのでしょうか。そもそも「弱い私たち」(8:26)には最初から出来ないことです。私たちが受けた救いこそ「人の願いや努力によるのではな」(9:16)いもので、神のあわれみがなければ滅んでいました。そのような失われてしかるべき私たちに対して「悪に悪を返さず」祝福したのがイエスキリストです。ですから、私たちがこの命令に従うことで、そのイエスキリストが優れていること、救う力があることが明らかにされるのです。私たちが弱ければ弱いほど、主の力が測り知れないことがわかるのです(Ⅱコリント4:7)。それ故に、私たちは自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなければならないのです。私たちに死をもたらした罪と悪に対して復讐できるのは神だけです。ですから、私たちは神の怒りに場所を譲らなければならないのです。人の罪に対して怒ることのできる神は、その怒りの矛先をご自分の御子に向けられました。この神の愛が私たちに注がれているから、主の命令に従うことができるのです。