2023年8月20日 説教テーマ「今の時を知る」

さらにあなたがたは、今がどのような時であるか知っています。あなたがたが眠りからさめるべき時刻が、もう来ているのです。私たちが信じたときよりも、今は救いがもっと私たちに近づいているのですから。ローマ13:11 ローマ人への手紙13章11―14節 「今がどのような時であるか…」その時とは直線的な時間(クロノス)のことではなく、特別に意味のある時(カイロス)のことです。文脈からいうと、終末的な時刻のことであり、人間にとってそれを聞いて信じるか、それとも躓くか、「あれかこれか」と常に最後の決断の時が迫っている、そういう時です。この手紙が書かれた頃にネロ皇帝によるクリスチャン迫害が起こり、その数年後にエルサレムがローマ軍によって完全に崩壊させられます。パウロにとってこれまでにない緊張感が迫っていました。人が有意義に生きるためには様々なことを知らなければなりませんが、一番知るべきはカイロスであり、終末的な時です。今は終末的な時であり、「救いがもっと私たちに近づいている」とパウロは言います。その救いとは終末的な救いのことです。イエスキリストを救い主として信じて救われた人は、罪をさばかれることなく、永遠のいのちが与えられます。それは神のいのちであり、神の子どもとなる特権が与えられます(ヨハネ1:12、3:16)。ただ、恵みによって神の子どもとしての立場は移されましたが、永遠のいのちは現実化してはいません。事実このからだは死ぬし、罪をさばかれることはありませんが、まだ罪を犯し続ける弱さを持っています。それでも立場は神の子どもです。それを実感するかしないかは問題ではありません。既に救いをいただいているからです。パウロが述べるところの、近づいている救いとは、既にいただいているものの完成としての救いです。「からだが贖われること」(8:23)とも述べています。これは罪と弱さの根源である死がない完成の状態です。キリストが三日目によみがえり、肉体をもって死に勝利されたと同じように、私たちも朽ちないからだに変えられるのです。ですから、私たちは終末的時刻を自覚できない眠りから覚めなければなりません。「夜は深まり、昼は近づいて来ました」夜か深まると暁が近くなります。暁の直前こそ最も闇が深まる時間です。今私たちは不信仰と不道徳という濃い闇の時を過ごしています。つまりキリストが再びおいでになる暁が近いことを知らなければなりません。闇のわざを脱ぎ捨てましょう。救いの完成を最終目的としないものはすべて闇のわざです。それが学業や職業、結婚生活であってもです。私たちは栄光のキリストを反映させるような働きをすべきです。それが光の武具を身に付けることになります。そのことはキリストを着ることによって可能となります。