2023年9月3日 説教テーマ「愛によって歩む」

こういうわけで、私たちはもう互いにさばき合わないようにしましょう。いや、むしろ、兄弟に対して妨げになるもの、つまずきになるものを置くことはしないと決心しなさい。 ローマ14:13 ローマ人への手紙14章13―23節 信仰の強い人と弱い人とがさばき合わないように、パウロは自分の立場をはっきり述べた上で、「何かが汚れていると考える人には、それは汚れたもの」(14)と教えました。そして、その人たちの心を痛めないようにと責めています。愛によって歩んでいないことに怒っているのです。肉を食べたら汚れると考える弱い人の考えは、そう信じる宗教的な生き方を決定する習性となっています。ですから、「肉を食べない」考え、行為は、その人にとって信仰生活の支えの一つにさえなっています。その人に対して、信仰の強い人が「イエス様に信頼すれば、食べたって大丈夫だよ」とストレートに言われたら、心を痛めてしまうのです。ですからパウロは信仰の強い人たちに、「兄弟に対して妨げになるもの、つまずきになるものを置くことはしないと決心しなさい」と迫ります。つまずきとは、キリストとの歩みにつまずくことです。信仰者の歩みはキリストをより知って、キリストとの交わりを深めることです。けれども、他の事柄によってそれが妨げられて、キリストを知る所からずれた歩みを始めるときにつまずいたことになるのです。信仰の強い人は、聖書の教えに従ったせっかくの信仰なのですから、信仰の自由にふさわしく、人からも尊ばれるようにしなければなりません(16節)。これらの教えはすべて神の国のためです(17節)。神の国は食べたり飲んだりするところでも、さばき合うところでもありません。神の国は神と人との交わりが回復させられた、神から賜る義が存在するところであり、また神との平和に基づいた人間同士の平和が保たれ続けるところでもあります。さらに神の国は聖霊にある喜びが絶えることのないところです。私たちはまず、「平和に役立つこと」を求め、次に霊的成長を追い求めます。平和のないところに成長は望めません(19節)。ここで聖書が「良いこと」として伝えていることは、主の教えに従って自由の尊さを自覚しながら、しかも愛によって自分を制限して、食べずして兄弟をつまずかせないことです。その信仰を、「神の御前で...持っていること」すなわち、その信仰が自由であれ、いろいろと考え、相手のことも考えた上で、自分で良しと決めたことについて、終わりの日に、キリストの御前で持っていること、そこで褒められる人は幸いです。しかし、もし疑い迷い、躊躇するような考え、行動であれば、信仰に根差していないと主から見なされて、罪との評価を受けなければなりません。福音を信じ、その恵みに与っている者として、喜びをもって信仰者しての責任を果たしましょう。