2023年10月1日 説教テーマ「希望に溢れさせてください」

どうか、希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたがたを満たし、聖霊の力によって希望にあふれさせてくださいますように ローマ15:13  パウロはローマの教会の兄姉たちに、希望にあふれさせてくださるようにと祈り求めています。希望は頑張って抱くものではないのです。この希望は信仰によるすべての喜びと平安によって与えられます。この喜びと平安も自分で獲得できるものではなく、キリストの福音を信じることで神から与えられるものです。キリストが私たちを受け入れてくださることで与えられるのです。その「受け入れる」「とはキリストの十字架の死のゆえに罪人の私たちを受け入れるということです。本来受け入れられる資格がないにもかかわらず、神が愛してくださるゆえに、ご自分の御子を身代わりとして、十字架において罰した上で受け入れてくださったのです。そこに与えられる喜びと平安は、他のものとは比べようがないものです。キリストが私たちを受け入れてくださったことを、8 節ではキリストがユダヤ人たちのしもべとなられたことで述べています。ここではキリストの救いの確実性を伝えたいのです。ユダヤ人は神の選びし民で、律法を授けられ、神と契約を結んだ唯一の民です。そのような恵みと特権のしるしが割礼です。その彼らこそ、キリストに最も敵対した者たちで、キリストを十字架につけた張本人たちです。彼らはキリストに受け入れられるはずもなく、そうあってはいけない者たちです。ところが聖書に書かれていることは、彼らがキリストに受け入れられることにおいて、選民であるか、律法の授与者であるかということは関係ないということです。また、彼らがどんなにキリストに反抗したかということも、受け入れられることに関しては無関係なのです。「父祖たちに与えられた約束を確証するため」との言及がそのことを述べています。ユダヤ人の祖にあたる人たちに「与えられた約束」というのは、彼らの特権やした行為に関係なしに結ばれた救いの契約のことです。ユダヤ人たちがキリストに受け入れられるかどうかは、神が彼らと結ばれた契約を守られるかどうかにかかっているのです。ユダヤ人たちは神との契約(約束)のゆえにキリストに受け入れられ、異邦人たちは神のあわれみのゆえに受け入れられました。そのキリストと同じように、対立し続けて来たユダヤ人と異邦人も互いに受け入れ合うことが進められているのです。9~12節に挙げられた4つの旧約聖書のことばは、両者が受け入れ合っている事実を預言のことばとして書かれているものです。それは必ず実現します。救いが完成するときに必ずです。ですから、その希望にあふれながら、今も互いに受け入れ合うのです。