2023年10月15日 説教テーマ「主にある誇り」

ですから、神への奉仕について、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っています。 ローマ15:17 ローマ人への手紙15章17-21節 主にある誇り クリスチャンがいわゆる誇り(プライド)を持つことは生き方に反します。この手紙の教えにある弱い人を受け入れること(14:1)や、力のない人たちの弱さを担い、自分を喜ばせるべきではない(15:1)ことに従うことはプライドが邪魔をします。しかしパウロは「誇りを持っています」と明言します。その誇りは、神への奉仕において「キリスト・イエスにあって(の中に)」持ちます。パウロの働き(奉仕)は偉大です。しかし彼は「キリストが私を用いて成し遂げてくださった」と繰り返し述べています。彼が行った働きではあるのですが、「私が…」とは言わず、「キリストが…」と誇ります。「私はエルサレムから始めて」と働きの開始を述べていますが、実際はダマスコの町から開始しています(使徒9:19,20)。つまりその働きの開始をキリストの働きとして述べているのです。福音を宣べ伝えるパウロの業績は計り知れないものがあります。しかし彼は一つも自分の業績を誇りません。働きの主導者であるキリストを誇り、そこに自分が用いられていることを感謝しているのです。自分の力や業績を誇るところでは、他人との比較の中で誇ります。そこで自分が優れていれば誇り、劣っていればプライドが傷つけられるのです。そこに感謝は生まれません。キリストにある誇りは感謝があふれます。キリストに出会う前のパウロはユダヤ教のエリートとして、教えとしての律法を誰よりも厳格に守っていました。ユダヤの中核を担うという強い自覚をもって誇り高く生きていました。律法を守らない人には厳しく批判し、律法が与えられていない異邦人を軽蔑しました。そういう中で誕生した教会の存在には我慢が出来ず、激しく迫害しました。そこには、自分の力によって自分の正しさを獲得する生き方と、自分の罪を認めて神の救いを必要とする生き方とがあります。前者だったパウロは、キリストと出会って大転換しました。キリストにある彼の誇りは、古い誇りを捨てることができたので、最も受け入れがたい人(異邦人)を感謝をもって受け入れる人になりました。