2023年12月24日 クリスマス礼拝 「マリアの賛歌」

力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです… ルカ1:49 ルカの福音書1章26~56節 「男子を出産する。名もイエスと命名する。生まれる子は聖なる者、神の子」これらを告げられたマリアが神を讃えたのが「マリアの賛歌」です。その第一声が「主をあがめ」です。このことばは「大きくする」という元の意味があり、49節の「力ある方が、私に大きなことを…」と同じ言葉で、「メガ」の語源です。つまりマリアは神が大きなことをしてくださったゆえに、メガ級の賛美をささげたのです。マリアが受けた大きなこととは、第一に聖霊による大いなるわざです。具体的には人を罪から救うことです。罪と死の克服ですから、救いは簡単なことではありません。そこに人のわざの入る余地はありません。人の努力も能力も救いにおいては無力です。神のわざによる救いだからこそ、処女による降誕であったのです。マリアとヨセフの間に生まれるなら、人のわざであり、そこに罪が入り込みます。そうであれば、マリアからわざわざ生まれなければ良かったのですが、そこには大事な神のお考えがあります。人を罪から救う場合、神として神性と、犠牲としての人性の二つの性をもった一つの人格でなければならないのです。神は「血を流すことがなければ罪の赦しはない」と、救いについて自らお定めになりました。救いは神でなければならないと同時に、いのちの犠牲、罪のない人間でなければなりません。このように大いなるわざは、完全な神、罪のない完全な人間、これはすなわち完全な愛です。それが人を救います(ヨハネ3:16)神がしてくださった大きなことの第二は、逆転をもたらす神のわざです。高ぶる者を追い散らし、或いは引き降ろし、低い者を高く引き上げるという逆転です。自分の力に過信して高ぶる者は引き降ろされ、罪の弱さを認めてへりくだる者は高められるのです。神はへりくだる者を「高価で尊い」と評価され、愛してくださいます。高ぶりに満ちた世界は能力至上、利益至上の価値観ですが、神はへりくだる者こそ価値ありとされます。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)と、神はあなたに告げるために、キリストを生れさせたのです。