2025年7月13日 メッセージテーマ「「従う者への報い」」

マルコの福音書10章28-31節 No55 今この世で、迫害とともに、家、兄弟、姉 妹、母、子ども、畑を百倍受け、来るべき世 で永遠のいのちを受けます。 マルコ10:30 富める青年は持ち物全部を売り払うことも、イエスに従うこともできませんでした。弟子たち はどうでしょう。「すべてを捨てて」とペテロが言うとおり、職も、家も、家族も捨ててイエスに従 いました。不安になった弟子たちは、「...私たちは何をいただけるでしょうか」(マタイ 19:27)と 利己的ではありますが、イエスに尋ねないではいられなかったようです。イエスはそのような 彼らに神の国とその素晴らしさを教えます。 実際に弟子たちは漁師としての網も舟も家族も置いて、イエスについて行きました。それは 「わたし(イエス)のため」「福音のため」の犠牲です。イエスのため...イエスご自身がなさろうと していることは、神の国を造ることです。新たに創造する天と地と、「聖なる都、新しいエルサレ ム」をそこに置かれます(黙示録 21:2)。そこは救われた者の住まいです(ヨハネ 14:2)。神の 国を造ることは、イエスの野望ではありません。国王である神のもとに、そこにふさわしい民と して、私たちを罪から救い、イエスに似る者として完全な者に造り変えてくださるのです。その ために十字架と復活というイエスの贖いのわざがあります。そのイエスのための犠牲が家族 を捨てるということです。エペソ人への手紙では、「一つに集められる」(1:10)、「教会」「キリス トのからだ」(1:23)、「神の家族」(2:19)とことばを言い換えています。これは、目に見えるもの ではなく、キリストをかしらとした全世界の真の信者たちの普遍的な教会のことです。イエスが 再臨されるときには、その教会が携挙され、最終的に聖なる都に導き入れられるのです。現存 している普遍教会における神の家族数は百倍どころではありません。この聖書理解があるこ とで、イエスのため、福音のための犠牲を理解することができます。 もう一つの報いは、来るべき世において受ける永遠のいのちです。これは救われたすべて の人に賜物として与えられるものです(ローマ 6:23)。ここで言っているのは永遠のいのちを 味わう度合いのことです。それはイエスからの 褒章の形で差が出ます。パウロやペテロは殉 教して、自分のいのちを犠牲にした人たちで す。神の国におけるいのちの味わい度合いは 格別なのでしょう。 イエスに従う者への厳しさを聖書はそのま ま教えます。そうでないと、受け取るべき報い の素晴らしさが伝わらないからです。イエスも (マタイ5:10)、パウロも(IIコリント4:16-18)、 同じように教えています。受け取る報いの素 晴らしさを信じるかどうかで、今の苦難の受け 止め方が大きく変わります。