2024年9月1日 説教テーマ 安心して行きなさい

イエスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」 マルコの福音書5章34節  長年治ることのない病気に苦しむ女性がイエスと出会ったところは、ヤイロの家に向かう途中でした。「長血」とは婦人病の一種で、当時のユダヤ社会では汚れた者と見なされました。その疾患がある間は、その人に触れた人も物も汚れるとされました。ですから人とかかわることも、礼拝に行くこともできません。医者からひどい目に遭い、悪くなる一方で孤独と絶望が襲います。人前に出る勇気よりも救われたい切実さが勝りました。「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる」との考えは、切実である一方、聖書の教えとは無関係の知識や迷信に基づいた行動でした。ところがイエスは彼女の信仰を評価しています。イエスは彼女の「独り言」を確かに聞き取り、人混みの中で「だれがわたしの衣にさわったのですか」とこだわり続けます。ユダヤ社会的な立場上、後ろからわからないように触った彼女に対して、イエスはご自分のほうから出会おうとされたのです。イエスがまず願っておられることは、個人的な出会いです。それが救いです。出会ってから、未熟な信仰を育んでくださるのです。彼女はイエスの招きに応えて全てをありのままに話しました。癒された喜びよりも、恐れおののきました。これは風と波を叱りつけて凪にされたイエスに対して、弟子たちが抱いた恐れと似ています。まことの神に出会うと恐れが生じます。そこから真の喜びが湧き出てきます。イエスは「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われました。あなたの信仰とは、切にイエスを求めた、ただそれだけです。信仰と呼べないようなものを受け止めてくださり、ご自分から交わりを求めてくださったイエスは、ご自分との交わりに生きる者となってほしいと願っておられます。イエスは彼女に、「安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい」と祝福を約束されました。癒されたことや社会復帰も祝福ですが、今後の人生において再び病むこともあり、遅かれ早かれ死も訪れます。イエスが約束されたのは、人生そのものが根本的にすっかり癒されることです。それは死に勝利してよみがえることを言います。これこそ安心であり、健やかです。また苦しみの意味を知る人となり、絶望的な苦しみを味わうことはありません。

2024年9月1日 週報より報告

【来会】 ☆8月25日(日)新来者の方が礼拝に出席されました。 【日曜学校】 ☆本日10時からキッズ&ジュニアクラスが行われました。 【本日の予定】 ☆11時から礼拝を行います。 ☆礼拝後、聖歌隊の練習を行います。 ☆14時30分から午後礼拝を行います。 【今後の予定】 ☆9月5日(木)10時30分からドルカス会を行います。 ☆9月7日(土)10時30分からいずみひろばを行います。 ☆9月8日(日)13時30分から教会会議を行います。会議後に聖書講演会の案内配布を行います。 ☆9月29日(日)11時~/14時30分~聖書講演会を行います。 【墓前礼拝】 ☆10月13日(日)14時30分から奥多摩霊園で墓前礼拝を行います。 【フェローシップ】 ☆9月16日(月・祝)熊谷教会で精神障がい者フェローシップが行われます。同日、小山聖書浸礼教会で松本修師の按手礼式が行われます。 ☆9月21日(土)柏聖書バプテスト教会の献堂式が行われます。 ☆9月28日(土)清水聖書バプテスト教会の献堂式が行われます。 ☆10月4日(金)、5日(土)国内宣教委員会主催の国内宣教カンファレンスが神学校で行われます。

2024年8月25日 説教テーマ「ただ信じていなさい」

イエスはその話をそばで聞き、会堂司に言われた。 「恐れないで、ただ信じていなさい。」 マルコの福音書5章36節  ユダヤの重要なコミュニティの場である会堂、その管理を仕事としているヤイロという人が、今回の出来事の中心です。ヤイロの娘が死にかけているという人生最大の危機が襲いました。会堂司は地域社会の信頼を得た名誉ある仕事であり、地位のある人ですが、大勢の人がいるにもかかわらず、ヤイロはイエスにひれ伏して救いを求めました。彼はこれまでにイエスの教え、奇蹟のみわざを見てきたでしょう。しかし救いを懇願することはありませんでした。それは彼の立場からイエスを見ていたからです。その立場から教えを評価し、判定していたということです。自分がこれまで得た知識や経験に基づいた世界観から、聖書の教えが納得できるかどうかという発想です。しかし、彼の知識も力も及ぶことがない死の力が襲ったとき、救いを求めていたのです。すぐさまイエスは応じて、彼の娘の家へと向かいます。ところが 途中、独りの女性がイエスに救いを求めて来るという、急ぐヤイロにとって想定外のことが起こりました。そして娘が亡くなったという最悪の知らせをそこで聞くことになるのです。イエスもその話をそばで聞きました。「そばで聞いて」という言葉の原語は「無視して」と訳すこともできます。つまり、イエスは娘が死んだという話を無視したということになります。聖書はこの世界におけるあらゆる支配と力に対して、「死」を「最後の敵」と見なしています(Iコリント15:26)。事実、だれもこれに勝つ者はありません。その死にイエスが勝利されるから無視をしたのです。死に対して「恐れないで」と言い、また「眠っているのです」とこの方は言われます。 医学的にも生物学的にも死んだ者をよみがえらせるゆえの表現です。それを実行に移され、死者に対して「タリタ、クム」とお命じになり、その通りに娘は起き上がりました。この出来事は、イエスの十字架の死と復活によって実現した救いを指し示しています。 私たちの罪のために死なれたことにより、人を脅かす死をご自分の身に引き受けられました。そして三日の後に死人の中からよみがえられました。私たちもいつか死にます。しかしこの方を信じるならば、死には何の力もありません。そのようなイエスの救いの恵みを先取りして示しているのが、この出来事です。

2024年8月25日 週報より報告

【日曜学校】 ☆本日10時からキッズ&ジュニアクラス、10時15分から乳幼児クラスが行われました。 【本日の予定】 ☆11時から礼拝を行います。 ☆13時から管理委員会を行います。 【今後の予定】 ☆8月27日(火)牧師は国内宣教委員会の会議(オンライン)に出席します。 ☆9月7日(土)10時30分からいずみひろばを行います。 ☆9月8日(日)13時30分から教会会議を行います。 【聖書講演会】 ☆9月29日(日)11時~/14時30分~聖書講演会を行います。 説教者:テイ・エイケン師(滝山教会牧師) テーマ:「大丈夫」 トラクト配布予定日:①9/8(日)教会会議後、②9/15(日)午後礼拝後、③9/22(日)管理委員会後 *配布にご協力ください。 【フェローシップ】 ☆9月16日(月・祝)熊谷教会で精神障がい者フェローシップが行われます。同日、小山聖書浸礼教会で松本修師の按手礼式が行われます。 ☆9月21日(土)柏聖書バプテスト教会の献堂式が行われます。 ☆9月28日(土)清水聖書バプテスト教会の献堂式が行われます。 ☆10月4日(金)、5日(土)国内宣教委員会主催の国内宣教カンファレンスが神学校で行われます。 【台風10号】 ☆台風10号の上陸の可能性に備えて、教会の駐車場、自転車置き場などにある風で飛びそうな物を玄関に入れます。

2024年8月18日 説教テーマ「湖の向こう岸」

こうして一行は、湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊につかれた人が、墓場から出て来てイエスを迎えた。 マルコの福音書5章1,2節 マルコの福音書5章1-20節 №25  湖の向こう岸はゲラサ人の地、異邦人の町です。そこは嵐に翻弄されてたどり着いた場所ではなく、イエスがひとりの人を救う目的のために、計画的に向かった地です。到着するとすぐに、汚れた霊につかれた人が墓場から出て来てイエスを迎えました。汚れた霊はこの人を支配し、他人を傷つけ、自分自身をも傷つけるが故に、だれもいない墓場に住むほかありませんでした。すぐにイエスを迎えたというのは歓迎ではなく、反抗する意志の現れです。彼はイエスと「何の関係があるのですか」と尋ね、並行記事のマタイ福音書には、そのことばに続いて、「…まだその時ではないのに」(マタイ8:29)とあります。その時とは、神によって定められたさばきの時のことです。汚れた霊は終わりの時に自分たちが滅ぼされることを知っていました。今は終わりの時ではないのに、どうして煩わしに来られたのかと、非常な恐れを もって抵抗しているのです。汚れた霊が人を苦しめる目的は、福音を信じさせないようにし、神の国の完成を遅らせることです。そのために他人と向き合うこと、自分自身と向き合うことを奪うという効果的なやり方を知っているのです。神の国の実現と完成のために、この悪の支配と力を打ち壊す権威と力がなければなりません。イエスにはそれがあります。これまでも見て来たように、熱病も、風や波も、そして霊的世界も、おことば一つで言うことを聞かせる力をお持ちなのです。「レギオン」は4~6千のローマ軍団を指すことばです。つまりそれほどの数の悪しき霊がひとりの人に入っているのです。その数と力をもってしてもイエスにはかなわないのです。この悪の力に縛られていた人が、イエスによって解放されました。汚れた霊につかれた人は、「正気に返って座っている」(15)と記されていますが、並行記事のルカ福音書を見ると、「イエスの足もと」(ルカ 8:35)に座っているのがわかります。この態勢はただ座っているのではありません。イエスのことばを聞くために座っているのです(3:14,3:34,ルカ10:39)。権威のもとにひざまずき、イエスのことばを待っているのです。聞き従うためにです。これが悪しき支配から解放されて正気に返るということです。みことばに従うことは、他の何にも勝って自由を得させてくださるものです。

2024年8月18日 週報より報告

【来会】 ☆8月11日(日)の礼拝に、他教会の兄弟姉妹や新来者の方々が出席されました。 【日曜学校】 ☆本日10時からキッズ&ジュニアクラス、10 時15分から乳幼児クラスの親の学びが行われました。 【本日の予定】 ☆11時から礼拝を行います。 ☆礼拝後、聖歌隊の練習、その後青年会を行います。 ☆14時30分から午後礼拝を行います。 【今後の予定】 ☆8月20日(火)牧師は按手礼の打合せに出席します。 ☆8月25日(日)13時から管理委員会を行います。 【聖書講演会】 ☆9月29日(日)11時~/14時30分~聖書講演会を行います。 説教者:テイ・エイケン師(滝山教会牧師) テーマ:「大丈夫」 トラクト配布予定日 ①9/8(日)教会会議後 ②9/15(日)午後礼拝後 ③9/22(日)管理委員会後 【フェローシップ】 ☆9月21日(土)柏聖書バプテスト教会の献堂式が行われます。 ☆台湾宣教レポート、来年のジュニアキャンプの案内が届いています(掲示中)

2024年8月11日 説教テーマ「怖がらないで信じなさい」

イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。 マルコの福音書4章39節  たとえ話を終えた後、弟子たちはイエスとともにガリラヤ湖の沖へ、大勢の群衆は陸に残りました。そこには弟子と群衆の区別があります。既にたとえ話のときにも、たとえのみを教えられたのが群衆で、たとえとその説明が弟子たちでした。その違いは聞く耳を持つか持たないかによりました。たとえに対する理解は別として、教えを聞いて従いたいとするのが弟子で、教えを聞くけれども、自分の考えを置いてまで聞こうとしないのが群衆です。自分の願いを叶えてもらうためにイエスのもとに集まる群衆と、イエスに従ってともに歩むために集まる弟子との間には明らかな区別があるのです。イエスの教えが終われば、自分たちの家に帰って行き、これまでと同じ生活の群衆に対して、イエスの教えに従い、ともに沖へ漕ぎ出していくという新しい変化を伴う弟子との間にはやはり区別があります。沖へ漕ぎ出した者たちに待ち受けていたものは、激しい突風による嵐でした。イエスとともに漕ぎ出した信仰者の旅路には、このような苦しみが襲いかかります。群衆は遭遇しません。イエスは私たちを守り、ご自分の持つ平安を与えてくださる方です。しかし信仰をもって生きるからこそ、人生の苦しみが深い危機となることも事実です。弟子たちは舟上で眠るイエスに文句を言いました。ここで明らかなことは、弟子たちは嵐によってうろたえているのではなく、イエスを見失ったことでうろたえているということです。イエスは彼らと一緒に舟に乗り込んでおられるではありませんか。「イエスが私とともにいる」ということをしっかり考える必要があります。単に一緒に乗り込んでいるのではありません。その方は「黙れ、静まれ」と自然に命じて言うことを聞かせる権威と力を持っておられます。それは神の国の支配を実現するためです。悪霊にも叱り(1:25)、熱病にも叱り(ルカ 4:39)というふうに、イエスのことばに権威と力があります。それによって私たちは救われたのです。信仰者は、イエスによって 神の国の支配が実現しているという事実を抜きに、突風(苦難)に遭うことを受け取ってはいけません。最終的に弟子たちは、イエスとはだれなのか?という大きな問いを抱きました。恐らく、彼らのイエス理解は、舟の中で寄り添い、激励してくれるイエスでしょう。元々眠っておられましたから。ところが、風も波もただちに従わせるお方でした。それは神の国の実現と完成に必要な権威と力ですから。私たちも沖へと漕ぎ出し、彼らと同じイエスへの問いを抱きたいのです。