2013年1月6日 任命と派遣

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。   
ヨハネ15:16

ヨハネの福音書15:16-17

 イエスは友と呼ばれる者には、隠さず救いのご計画を話されます。友なる信仰者を通して実を結ぶためです。福音の実を結ぶために命じられていることが一つ、互いに愛し合うことです。イエスは兄姉が互いに愛し合うことを通して、ご自身の愛を表されます。

 この命令を守ろうとすると、自分のうちに愛がないことに失望します。イエスも承知です。だから、「わたしにとどまりなさい」と言われるのです。これは私たちへの最高の配慮と受け取るべきでしょう。「互いに愛し合いなさい」を実践していくのは私たちですが、イエスは「あなたがたがわたしを選んだのではありません」と言われました。その後に、「わたしがあなたがたを選び」と続きます。戒めを守ることも、キリストにとどまることも、それを実行する者が主体なのではありません。それよりも先にイエスは私たちを友として選んでくださっていたのです。命令を守ったところで、それを誇ることはできません。むしろ責任をもって選んでくださったイエスが偉く、誇りとすべきところです。その主の責任は、ご自身が愛の供給源として木の幹となってくださっているところにあらわれ、また取るに足りない弱い者を選んでくださった選ぶ基準にもあらわれています。

 さて、私たちが戒めを守ることは難しいことなのでしょうか?いいえ、私たちに負荷がかかるところはありません、命じ、与え、選ばれるキリストにすべての負荷がかかっています。その上で、福音の実を結ぶために私たちを任命されるのです。その命に従い、行くならば必ず豊かな実を結びます。遣わされて遂行する力も主は与えます。断る理由はどこにも見つかりません。行って実を結びましょう。