しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。
使徒24:14
講解説教79
使徒の働き24:10-25
ローマとユダヤのそれぞれの法廷で弁明をくり返したパウロは、3回目にローマ総督のもとで裁判を受けました。訴える者がいて、それと戦い、有罪か無罪かを決める席上です。博学なパウロは裁判での発言の仕方も良くわきまえていて、筋道を立てて正義を語っています。しかしパウロがそこで望んでいることは、有罪か無罪かということではありません。勝つことでもありません。そこでもイエスキリストを証することです。ユダヤ人たちはパウロを、ユダヤ教から出た異端の一派(ナザレ人という一派の首領)と見ています。パウロは彼らの告訴内容を認めて、「私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って…」と自分の信仰を告白しています。そんなことを認めたら不利です。しかし彼のこだわりはそんなところにはありません。相手が自分に対してどのように見なしていたとしても「この道」すなわちキリストの道が、まことの神に仕え、聖書に書いてある全部を信じていることにおいて、間違っていないことを確信していました。
自分がクリスチャンであることを相手はどう思うだろうか?と考えたとき、証する動機をパウロから学ぶべきです。キリストを証するのに自分自身の中に動機があってはなりません。パウロはキリスト教信仰の中心である死者の復活についても語りました。総督ペリクスは裁判をつかさどる者としてではなく、個人的なかかわりとして、パウロからキリストを信じる信仰について聞きました。福音の内容である正義、節制、やがて来る審判を聞いた時、恐れを感じました(25)。これは神の前に抱く健全な恐れであり、救いの最良の機会です。ところが彼はそれを退けたのです。「また次の機会に!都合のいい時に…」心をかたくなにして機会を延ばさないでください。その時こそ神を求めてください。