2013年7月14日 エペソ人への手紙 -みこころの奥義を知る -

神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。

エペソ1:8、9前半

講解説教No.5
エペソ1章8-10節

 キリストの血による贖い、罪の赦しが神の豊かな恵みであることを学びましたが、今度はその恵みを知らせてくださる!という恵みを教えています。神が選ばれた神の子に特別に知らせてくださったのです。その知らせてくださることを「啓示」と言います。それはこの聖書です。だれもが簡単に手にすることのできる聖書ですが、そこに書かれている内容が絶大な恵みであることを覚えて感謝しなければなりません。


 その知らされた恵みを「みこころの奥義を知らせる」恵みと言い換えています。“知らせる”とあるので、私たちの知性にも関わってくる事柄です。ただ“奥義を知らせる”となると、私たちが聞かされたものを学習したり、研究したりして知ることのできる、そういう情報ではないと考えないといけません。私たちに知らされたものはあくまでも神の恵みとしてのものですから、それを頂かなければ知りえない、そういう知識です。知識を受け取るための見る能力、聞く能力が備わっているだけでは不十分で、それを正しく受け取る正しい心がどうしても必要です。「そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、」(ルカ24:45)が正しい心です。神の啓示を知ることのできる恵みというものは、私たちの知識の量や広さの拡大ではありません。神の知らせが自分への知らせであるという自分への良き知らせ(福音)だと認める心にしていただく!そういう恵みのことです。

 みこころの奥義とはキリストのことです(コロサイ1:27、2:2,3)。人の本心がわかると、その人の枝葉の言動も理解できるように、イエスキリストがわかると、神のみこころが分かってきます。分かりたいのであれば、キリストを求めるべきです。