2013年8月11日 エペソ人への手紙 -心の目がはっきり見えるように-

また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
エペソ1:18  


講解説教No.8
エペソ1章18節

 エペソ人への手紙は、エペソ教会だけではなく、その周辺の教会にも用いられていて、パウロが一度も会ったことのないクリスチャンたちにも読まれています。彼らの信仰と愛の成長を伝え聞いたパウロは嬉しくなり、心の目がはっきり見えるようになるようにと祈ったのです。

 ローマの繁栄は目を見張るものがあります。市民権を持つ者の生活の保証は確実なものであり魅力です。しかしその人の霊においては違います。生活がどんなに保証されていても、その心はむなしいとパウロは指摘します(4:17)。彼らの知っているものは、自分の欲望からの視点でしかなく、知性の暗さと無知さも指摘しています。この世の繁栄と楽しみが自分を豊かにし幸福にするので、常にそれを追い求めます。しかし聖書が指摘するその人々の本質は「むなしい心」です。そのむなしさに気づかないようにさせるために世の繁栄を求めていると言ってよいでしょう。

 心の目で見るべき第一は、「神の召しによって与えられる望み」です。今の生活をもっと明るく楽しくする夢や希望はいろいろあるかもしれませんが、ここで言っているのは諸々ではなく、「あの一つの望み」(直訳)です。それはキリストの召しのあの希望であって、栄光の望みであられるキリストそのものです(コロサイ1:27)。

 もう一つ見えるべきは、「聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか」です。私たちは神の相続人、キリストとの共同相続人です(ローマ8:16,17)。これらがはっきり見えるように!心を集中しても見えるものではありません。心の目を開いてくださる神の働きがそこには必要です(ルカ24:54、使徒16:14)。だからこそ、そのために祈るのです。牧師はそのことをとりなして祈ります。兄姉も祈りましょう。