2013年12月15日 エペソ人への手紙 ‐からだ(教会)は一つ‐

からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。
エペソ4:4


講解説教No.21
エペソ4章4―10節

 教会の一致は聖霊によってすでに与えられているのであって、集まるクリスチャンたちが作り出すものではないと学びました。その一つを強調して「からだ(教会)は一つ」ということを様々な側面で証明しています。「(教会にかしらとして与えられている)主は一つ」なのだから、教会も一つです。「御霊は一つ」とあるように、一つの御霊に生かされることによって、一つのからだである教会は生きることができるのです。教会はその御霊によって神の御住まいになっているとも。「信仰は一つ」というように、イエスをまことの救い主として信じる信仰は当然一つです。バプテスマにおいても、多様なバプテスマの形態があったようですが、イエスキリストの御名によって授かるバプテスマは一つであるともおしえています。このように、教会が一つになることは、みんなで何かを達成したときに抱くような一体感ではないのです。教会は神によって一つになるのです。霊的教会のプランを建てるのも、材料を用意されるのも神です。教会は神の御住まいであり、かしらがキリストであるのだから、御霊によって生かされる特別なものです。私たちはこれを壊してはなりません。

 教会が一つと言っても、赤一色というような一致ではないことも説明しています。「ひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました」と一致の中に、違いを見るのです。パズルの一つだけとってもつまらないものにしか見えませんが、それが一つところに集まると見事なものになります。自分に与えられたパーツをつまらないということも、他と比べることも無意味です。キリストが賜物としてひとりひとりに与え、聖霊によって一つとなるように調和を保たせてくださっているものを軽んじてはなりません。教会の集まり、礼拝の集まりを重んじる理由もそこにあります。神よって一つとなっているものを壊してはならないために集まりをやめないのです。